リクルートが創業して57年。その歴史をひも解くと、大きく3つの時期に分かれていることに気づく。

第1は1960年代、創業者である江副浩正氏が大学新聞広告社を創業し、就職情報誌『企業への招待』(のちのリクルートブック)を発行。その後、『とらばーゆ』『フロムエー』『エイビーロード』などの時代の先駆けとなる情報誌を次々と生み出し、急成長を遂げた。
第2は1980年代後半、リクルート事件で江副氏が退任、レピュテーションも低下し、さらにバブル崩壊で1兆4000億円の巨額負債を抱えるという三重苦を負い、そのどん底からの復活に奔走した。紙媒体からウェブへの移行、さらに国内の企業買収などにより人材派遣事業では国内トップに立った。
そして第3の時期がいまである。2012年4月に峰岸真澄氏が社長就任するや、持ち株会社制に移行して主要事業を分社化する組織改革を断行。さらに2014年には株式公開を行い、その資金力をてこに、海外企業の買収を行い、グローバルナンバーワンに向けて、アクセルを大きく踏み始めた。

江副氏は生前、ピーター・ドラッカーの著書を愛読し、気に入った箇所に線を引いて、リクルートの経営哲学を推敲する材料にした。その中でもひときわ目立つ印がつけられた箇所の一つに次の一文がある。
「すぐれた組織と凡庸な組織との違いは、成員個々人が要求された仕事以上のことをしようとする意欲があるかどうかにある」

大きな困難を経てなお社員個々人の強さを失わない、リクルートの「継承と変革の経営」について、峰岸真澄社長に話を聞いた。

大企業となったリクルートが
起業家精神を失わない理由

編集部(以下青文字):峰岸さんが社長就任した際、歴代の経営者から引き継いだ、バランスシートには載らない“資産”は何だったと思いますか。

リクルートホールディングス
代表取締役社長兼CEO
峰岸真澄
MASUMI MINEGISHI
1964年1月生まれ。1987年リクルート(現リクルートホールディングス)入社。1992年新規事業準備室配属、2002年ゼクシィ事業部事業部長、2003年執行役員、2004年常務執行役員、2009年取締役常務執行役員、2011年取締役専務執行役員、2012年4月代表取締役社長兼CEO就任。好きな言葉は「cool head but warm heart」。「事業への思いが強すぎると撤退の判断などを見誤るリスクがある。さりとて、強い思いがなければ事業は成功しない。事業を担当していた当時は、常に事業という舞台のど真ん中にいながら、一方で舞台全体や観客を俯瞰して見て円滑な運営を冷静に考えている自分がいた」。そう語る言葉からは、多くの事業経験に裏打ちされた自信がにじむ。

峰岸(以下略): 経営理念、および、それが受け継がれる中で育まれた独自の企業文化だと思います。

 当社の経営理念は「新しい価値の創造を通じ、社会からの期待に応え、一人ひとりが輝く豊かな世界の実現を目指す」というミッションと、それを行ううえで重んじる3つのウェイ(大切にする考え方)である「新しい価値の創造」「社会への貢献」「個の尊重」から成ります。

 新しい価値の創造とは、つまりイノベーションを生み出すことです。イノベーションを生み出し、社会に提供して、その価値を問い、そして受け入れられ使われていく、その循環によって産業や社会が進化していく。こうしたイノベーションの循環を生み出すためには、個の尊重が非常に大事だと考えています。

 企業文化とはどのようなものですか。

 企業文化は長らく暗黙知として積み重ねてきましたが、明文化したものはありませんでした。そこで株式公開に先立つ2014年、あらためて内外に伝えられるように言語化しようと、経営陣や社外の方たちと約1年間の議論を経て、「起業家精神」「圧倒的な当事者意識」「個の可能性に期待し合う場」という3つの言葉にまとめました。これらを我々は「ユニークネス」と呼んでいます。

 3つのユニークネスの1つ目である「起業家精神」について伺います。リクルートはすでに時価総額で約3兆円という大企業になりました。大企業化と起業家精神という一見相反するものを、いかにアウフヘーベン(止揚)しているのでしょうか。

 当社が採用する社員はそもそも起業家精神が旺盛な人たちです。しかし、昔のベンチャー企業だった頃と違い、いまの入社希望者の多くは、さまざまな業種の大手企業への就職先の一つとして、当社を選んでいます。つまり、入社した時点では他社と比べて突出した起業家精神を持っているわけではない人もいます。

 ではなぜ、大企業になったいまも起業家精神を維持し続けていられるのかというと、やはり入社後の人を育てる仕組みやシステムにあるのだろうと思います。

 そもそも私は最適な組織のあり方として「個人を組織に従属させない」という考え方を持っています。