できるだけ「強制力」を使わないのが、
マネジメントの原則である

 むしろ、それは意思決定者にとっては迷惑なことです。

 意思決定者は「権力者」であるがゆえに、現場と対等なコミュニケーションを取るのが難しい。どんなに丁寧に接したとしても、そこには「強制」的な関係が生じてしまうからです。だからこそ、「権力者」ではない参謀を代役に立てて、できるだけ強制力を伴わずに、意思決定に対する納得を得ようとしているわけです。

 それは、秘書課長をやっていた頃に気づいたことです。

 当時の社長は、印象がコワモテの人物でしたから、なおさら、現場からは恐れられていました。ご自身は、そう言葉で話されることはありませんでしたが、それを意識されていたと思われるフシがありました。

 だからこそ、課長級で「偉くない」存在だった私を参謀役につけ、現場とのコミュニケーション役をさせることで、ご自身の意思をできるだけ自然な形で社内に浸透させようとされていたのだと思うのです。私自身、社長になって、当時の社長の気持ちを深く実感したものです。

 にもかかわらず、参謀が、現場をやり込めるようなことをすれば、すべては台無しです。しかも、現場は、参謀の背後に「権力者」の姿をはっきりと見ていますから、そのような参謀を重用している「権力者」への信頼感をも確実に損ねるでしょう。「論客」の参謀は、率直に言って非常に迷惑なのです。

議論に「勝つ」ことは、
参謀にとって「敗北」ですらある

 ところが、昨今は、優秀なビジネスパーソンほど、相手を「論破」する技術を磨いている傾向があります。

 典型的なのが、ディベートの技術。ディベートとは、ある問題について、異なる立場に分かれて、それぞれの主張を戦わせて、第三者が「勝ち負け」を決めるもの。いってみれば、意見対立を前提とした「競技」のようなものです。

 これ自体は、問題を客観的・批判的・多角的に分析したり、自分の立場の正当性を論理的に構築したり、自分の主張を説得力で伝える筋道を考えたりする「思考力」を養ううえで、非常に有効なものだと思いますが、この技術を参謀の仕事に持ち込むと、混乱をもたらすだけでしょう。

 なぜなら、ディベートにおいて相手は「倒す対象」にほかならないからです。この前提が、そもそもおかしい。会社のなかで「同じ釜の飯を食う」同僚は、たとえ立場は異なっても、ビジネスチームメンバー、みな仲間です。仲間を倒して、いったいどうしようというのでしょうか?

 たしかに、政権を争っている政治家であれば、ディベートで相手を論破することが「勝利」でしょうが、企業における参謀が相手を論破することは「勝利」でもなんでもありません。むしろ、相手の反感を買うために、経営と現場の間に不信感を生み出してしまうという意味で、「敗北」ですらあるのです。

 では、参謀にとっての「勝利」とは何か?

 それは、上司の意思を相手に心の底から納得してもらうこと。そして、上司の意思を実現するために、現場が主体性をもって、自律的に実行するようになることにほかなりません。

 そして、「勝利」するためには、まず何よりも、自分がどういう存在かを振り返っておく必要があります。参謀は、上司にそのポジションを託されたから「参謀」になれるわけではありません。いままでの日常の仕事や実績の積み重ねの結果、現場からどのように見られているか、どのように評価されているかによって、「参謀」として認められるか否かが決まるのです。

 重要なのは、次の二つのポイントです。

 第一に、現場を理解しているか? 現場感覚があるか?<

 第二に、誰の話をも傾聴し、自分の考えが他者から共感を得られるように努力しているか?

 現場の人々は、参謀のこれまでの言動から、この基本的な2点を備えているかをじっとみています。そして、この2点が「合格」と認められた人であれば、現場の人々に受け入れられ、「参謀」として機能することができます。そして、この二つのポイントを厳守し続ければ、多少、現場にとっては厳しいことであっても、必ず、参謀の話に耳を傾け、その真意を理解してくれるはずです。

 逆に、この基本ができていないと、「論理」の力を振りかざして、相手を「論破」する以外に、現場の人々を説得する手段がないということになります

 ですから、相手を「論破」するしかないという局面に立ったときには、むしろ、「自分のあり方」を振り返るべきです。相手からの信頼というインフラがないからこそ、そのような立場に立たされるのです。そのことを真摯に反省して、日頃の言動を修正し続けることによって、参謀としての資格を獲得していくのです。