もし、買収しようと決めたなら

 さらに詳しく考えよう。

 選挙のルールは残酷だ。「当選」と「落選」の2つしかない。

 2位までに入ればどんなにギリギリでも当選、しかし、3位以下は、いくら惜しくても落選である。であるからして、たとえばAさんが3位になりそうだとして、2位になるためにたった数人の人物に票の取りまとめを頼み、僅かに票を伸ばして2位候補に迫ったところで、順位が変わらない限り意味がないのである。

 であるからして、もし買収をしようと決めたならば、2位に食い込む確率が十分高くなるように多くの人物を買収しなければならない。もちろん買収は違法なのであるが、もしAさんが買収すると決めたならば、そのAさんの行動として「正しい」のは、大掛かりな買収を行うということだ。

 そして買収の結果は、Aさんは結局3位に終わった候補者に大差で勝利するわけでなく、「ものすごいギリギリでもないが、余裕でもない」という差で勝つことになるだろう。Aさんは、「買収後の勝率を十分高めているが、無駄なカネは払わない」という「いい落としどころ」を選ぶのだ。

 話のポイントは、「当選」と「落選」には劇的な差があるが、それは得票数で決まり、一人一人の買収はこの得票数を少ししか動かさない、ということである。こういった構造を持つ状況は、なにも選挙だけでなく、社会の様々なところにある。

 たとえば大学入試を考えてみよう。勉強量は少しずつ調整できるものだが、結果は「合格」と「不合格」の2つしかない。ほんの少し勉強して点数を僅かに上げたとしても、不合格なら仕方ない。

 勉強するならば、しっかり合格できるようにやらなければいけない。ここで、「合否」が「当落」に、「入試の点数」が「票数」に、「勉強の大変さ」が「買収にかかる費用及び、買収が発覚するリスク」に、それぞれ(大体)対応していることをご理解いただきたい。

 他の例を出すと、結婚がある。大事件が起きてそこで急激に恋に落ちる、ということもあろうが、ここでは日々接しているカップルのことを考えよう。意中の相手のハートを射止めるには、たった1日優しくしたからといってダメである。

 日々十分優しくすることで、結婚にこぎつけられる確率を上げられるわけだ。この人と決めたら、とことん愛を伝えなくてはいけない。

 逆に、「信用を得る」というのは似ているが少し違う。日々の行いが信用につながるので結婚と似ていると思われるかもしれないが、違いは、信用が「ある」「ない」に二分できるものではないということだ。

 日々の行いが良くなると、だんだんと信用が増してくる、という、買収・入試・結婚とは少し違った構造の状況になっている。

 このように問題の構造が異なると、当然、買収・勉強・優しさ・日々の行い、にどの程度の労力をつぎ込むか、が異なってくる。逆に言うと、問題の構造をうまくデザインすることで、人々に努力をうまくさせることもできる。

 たとえばあなたが自分の子どもに、勉強を頑張ってもらいたいとしよう。ここで、「テストで100点ならゲームし放題、それ以外はゲーム禁止」にするのと、「テストの点が1点上がるごとにゲームしていい時間が10分増える」というのだと、いったいどちらの方が、子どもが勉強するだろうか。

 もしくは、営業部の社員への給料で、「契約数のノルマを達成したら多額のボーナスがあるが、達成しなかったらナシ」にするのと、「契約を一つ結ぶたびにボーナス○万円支給」とするのとでは、会社にとってはどちらがいいだろうか。つまり、最終的な出費を抑えつつ契約数が高くなるのは、はどちらの方だろうか。

 こうした問題も、ゲーム理論の範疇にある。「買収をできるだけ少なくするような選挙制度のデザイン」も、もしかしたらゲーム理論でできるかもしれない。