創業111年目の味の素が大きく生まれ変わろうとしている。総合食品企業として「グローバル・トップ10」入りを目指すと掲げてきたアウトプット型の旗を降ろし、より本質的な社会価値と企業価値を追求する「ASV(注)」を全面に押し出して、DX(デジタル・トランスフォーメーション)をツールに、みずからの経営構造そのものの変革に着手した。世界トップクラスの食品企業であるネスレやユニリーバにもない、アミノ酸という独自のコア技術を持つ自社の原点に立ち返り、人類の「食と健康の課題解決」という壮大な“パーパス”に挑戦しようというものだ。
もともとアミノ酸は、社名の由来である食品のうま味成分だけでなく、タンパク質のもととして生命を支える重要な栄養素でもある。このアミノ酸をベースに、同社が培ってきたブランドや信用、知財、ネットワークなどの無形資産という宝の山を掘り起こし、新たなエコシステムの形成を目指している。
そこで今年(2020年)2月には、6年間の新中期経営計画(2020-2025)を発表し、2030年を見据えた大改革に取り組んだ矢先、新型コロナウイルス感染症のパンデミックが発生。「コロナは時計の針を大きく前に進めた」と語る西井孝明社長に、緊急事態の中で動き出したパーパスドリブン企業に生まれ変わる改革への決意を聞いた。
注)ASV(Ajinomoto Group Shared Value)は、CSV(共通価値の創造)の味の素版。事業を通じて社会課題を解決することによって経済価値を創出し、次の事業に再投資することで社会課題解決への好循環を生み、サステナブルな成長を実現する戦略的な取り組み。
グローバル化を加速する中で
見落とした大きなリスク
編集部(以下青文字):コロナショックという未曾有の事態で、世界は大きな変化に直面しています。今後は想定外の変化がある日突然起きる、不確実な世界が常態化していくように思われますが、経営者としてこれにどう向き合いますか。
西井(以下略):2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)、2009年の新型インフルエンザ、2012年のMERS(中東呼吸器症候群)など、中規模な感染症の波は過去に何度かありましたし、グローバル化が加速する中で、そのリスクの高まりが指摘されていました。しかし当社も含めて、多くの企業はグローバルでの成長に軸足を置き、視界の中でそのリスクを見落としてしまっていた。今回の新型コロナのパンデミックにより、そのリスクがリアルな現実として目の前に表れたわけです。
西井孝明TAKAAKI NISHII1959年生まれ。1982年に同志社大学文学部卒業後、味の素に入社。2004年に味の素冷凍食品 取締役 家庭用事業部長を経て、2009年に味の素 人事部長。他社に先駆けて始まった働き方改革の現場責任者として、陣頭指揮に立つ。2013年に海外赴任し、ブラジル味の素 社長に。同年に味の素 取締役 常務執行役員としてラテンアメリカを統括。2015年、代表取締役 取締役社長 最高経営責任者に就任(現職)。社長就任直後には、働き方改革を加速するために経営トップのコミットメントを宣言し、就業時刻の前倒しや在宅勤務など、さまざまな制度もトップダウンでつくり上げた。そして2020年、「食と健康の課題解決」というビジョンの下、味の素がパーパスドリブン企業に生まれ変わるための大改革を発表。アフターコロナの世界を見据えて、DXを取り入れた新たな事業モデルの創造に挑んでいる。
まず社長である私には、全世界で3万4000人に上るグループ従業員の生命と安全を守るという責務が発生しました。これまでは地域ごとにさまざまな問題が起きることはありましたが、世界同時に問題が起こり、それにリアルタイムに対処しなければならない事態は初めてでしたので、自身の重責をあらためて痛感しました。一方で、当社が食と医療という、人間の健康に直結する商品やサービスを届けていることへの誇りと責任も、いっそう強くなりました。
今後、我々は大きなリスクが足下にあることを常に認識しながらグローバルにビジネスを行う中で、これまで以上に柔軟かつ強靱な企業構造に変えていかなければなりません。
コロナショックを受けて、サプライチェーンのローカル化など、グローバル化を見直す企業も出始めています。これについてはどうお考えですか。
加速してきたグローバリズムと、その反動としてのローカリズム、この駆け引きは以前からあり、アフターコロナでどちらかに大きく振れることはないと私は考えています。
むしろコロナショックで大きく変わったのは、人々の価値観です。特に「健康」に対する意識が生活者レベルで一気に高まりました。今後は、経済的成長を最優先してきた新興国においても「ウェルネス」(こころとからだの健康)の重要性が見直され、ロックダウンや社会的分断を経験した先進国では「ウェルビーイング」(心身ともに良好な幸福感)のさらなる追求が始まると見ています。こうした世界的な2つのトレンドに対して、我々は商品やサービスを通じてどう貢献していけるのか。ここが最も注力すべきポイントです。