海賊版共有サイト出身のサービスが海賊行為を駆逐する、その切り札とは
「ナップスターが僕の人生を劇的に変えた」
本書の中でダニエル・エクはこう語っている。ナップスターとは、1999年にサービスがスタートしたファイル共有ソフト。P2Pという仕組みを使ってユーザー同士のパソコンを直接つなぎ、ユーザー間で音楽ファイルを送受信することができるサービスだ。しかし当時はCD時代。初期のナップスターで流通していたのはすべて著作権侵害の音源である。一大ブームを巻き起こしユーザー数は数千万人に膨れ上がるも、全米レコード協会から提訴され、法廷闘争を経てナップスターは2001年にサービス停止に追い込まれる。その経緯は『ナップスター狂騒曲』(ジョセフ・メン著、2003年)に詳しい。
ナップスターのサービス停止以降もP2Pのファイル共有ソフトによるネット上の著作権侵害は続いていた。そのツールとして広まっていたのがビットトレント。各地にトレントファイルのインデックスサイトが立ち上がり、なかでもスウェーデンの「パイレート・ベイ」は海賊版共有サイトとして世界的な知名度を持っていた。
『誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち』(スティーヴン・ウィット著、2016年)には、ナップスターとビットトレントがいかにして海賊版の時代を形作ったか、「CDが売れない時代」がどのように訪れたのかが、まるでミステリー小説のようなタッチで克明に描かれる。
この『誰が音楽をタダにした?』を前日譚として読むことで、本書の位置づけはよりクリアになる。そもそもスポティファイは、「海賊版サイトよりも軽く動く、より便利なものを作ることで海賊行為に対抗する」というアイディアからスタートしたサービスだ。ダニエル・エク自身もプログラマーとしての卓越した才能を持っているが、ビットトレントのクライアント「μTorrent」(マイクロトレント)を独力で開発したスウェーデン随一の技術者ルードヴィッグ・ストリーゲーヴスが初期の開発陣として重要な役割を果たしている。
スポティファイはP2Pのファイル共有ソフトをルーツに持つサービスで、だからこそ、音楽業界側は当初からそれを敵視していた。ダニエル・エクのヴィジョンは、違法ダウンロード撲滅に邁進していた2000年代当時の音楽業界にはなかなか受け入れられないものだった。
一方で、「海賊版サイトよりも優れたサービスを作ることで海賊行為を撲滅する」というアイディアからスタートしているからこそ、開発初期から現在に至るまで、サービスのポイントが“速さ”にあるとも言える。聴きたい曲を0.1秒でも速く表示し、途切れることなく再生させる技術的な優位性こそが、他の並み居るストリーミングサービスを押しのけてスポティファイのユーザー数を増やす原動力となっていった。
こうした経緯があったからこそ、フェイスブック初代CEOとして得た巨万の富を投資したショーン・パーカーにとって、スポティファイは「ナップスターのリベンジ」としてのプロジェクトとなったのだ。