テレワークをする社員を「監視」したいというニーズがひそかに高まっている。しかし、この社員の監視という行為、約70年前に書かれたジョージ・オーウェルの小説『1984年』によると、社員の心身を蝕(むしば)むリスクが満載だ。
ジョージ・オーウェル『1984年』から
「社員の監視」を考える
コロナによる外出自粛で、テレワーク、リモートワークが広まり、部下や社員がちゃんと仕事をしているのか確認したいと思っている管理者が増えている。
社員は会社にいるときよりも頻繁に報告をするように求められたり、会社から貸与されたパソコンであれば、入っているアプリケーションで業務状況が記録されたりと、会社の中にいないことで、監視が強化されたと感じているかもしれない。
それだけではない。さまざまな技術を使えば、会社にいなくても、社員の行動は容易に管理者に補足されることになる――これは実はおそろしいことではないのか。
このような状況の延長線上にある恐怖を、約70年前にジョージ・オーウェルは『1984年』で克明に描き出していた。
『1984年』のあらすじ
舞台は1984年のロンドン。指導者ビッグブラザーのもと、党が住民を支配している。この時代には、『テレスクリーン』による私生活の遠隔監視が行われている。テレスクリーンは受信発信を同時に行う装置だ。その視界内にある限り、声も行動もすべてキャッチされ、思想警察が盗聴している。ただ、精巧を極めた装置ではあるものの、人間の心を見抜くまでには至っていない。
党は、テレスクリーン以外にも、友人や子どもの密告、マスメディアによる洗脳、言語の改造を通じた思想そのものの限定化、などによって思想統制を徹底している。さらに街中に仕掛けられたマイクによって屋内・屋外を問わず、ほぼすべての行動が監視されている。
公衆の面前やテレスクリーンの前で、物思いにふけることは危険行為である。顔面の痙攣や無意識の焦燥感や独り言の癖などは、すべて異常なもの、隠し事をしていると解せられる。その場にふさわしくない表情を浮かべることは、それ自体、刑罰に値する罪となる。新しい語法においてそれは表情罪(フェイスクライム)と呼ばれている。
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さて、『1984年』は、多くの識者によって、「国家」と「個人」の関係について考えるテクストとして参照されてきた。ここでは、新常態に突入している「会社」と「あなた」の関係に絞って考察してみたいと思う。このリモートワークの時代、会社はあなたをどこまで監視するのだろうか。