監視によって社会が
問題行動を防御できる可能性も
実は監視社会とテレワークには浅からぬ関係がある。
「監視社会の勃興は身体の消失に深く関わる。距離を隔てて何かを行うとき、身体は消滅する。(中略) 消失する身体は近代の基本問題であり、通信情報テクノロジーの拡大・浸透がそれを助長している。目に見える身体を見張るという直接的な監視がいよいよ困難になってきたとき、それを補填するべく、個人の痕跡をおいかける諸諸の社会機関が台頭した。」(『監視社会』デイヴィッド・ライアン著)
会社から身体が消えた際、個人の痕跡(アクセス履歴などのアクティビティーの履歴)をたどり、その姿を復元させたくなるのは、ある種の本能だ。その点、Web会議は顔が見える分、安心を与える。だからWeb会議あってのテレワークと言えるかもしれない。しかし、だからといって、Web会議さえ定期的に実施されていれば、会社があなたを監視しなくなるなどということでは決してない。
ただ、今の時代、監視にはポジティブな面が大きいという意見は強い。業務のすべてが会社から支給されたPCやスマートフォンによって行われることで、業務に関するあらゆる行為とコミュニケーションがデータとして残り、可視化できる。それを分析することで、より高い生産性をあげることが可能になり、または、不快で不毛なやり取りも減らすことができる。こういったヒューマン・アナリティクスによる職場改善は監視(データの捕捉)の効用、として歓迎される。
プライバシーが一定程度保護されるのであれば、企業に個人データの利用を許し、それと引き換えに便利なサービスを得ることに抵抗のない人も多い(企業にデータを取られたり、利用する許諾を与えたりしていることに無自覚な人も決して少なくないであろう)。
「ナッジ」という言葉もよく見かけるようになったが、高度なデータ分析力とそれに基づく行動の誘導によって、個人のよりよい行動を促し、社会がより幸福になる可能性を高めることを行動経済学や認知科学は証明しつつある。特に問題行動の制御には大きな役割が期待できる。大多数の人は監視されていることを意識していないのに、自然と不適切な行動をとらないように誘導される。社員の「信用スコア」のようなものが生まれ、コンプライアンス的な問題行動を防御できる可能性は大きい。