真っ向から対立する
ドイツの哲学者カントの思想
一方、ドイツの哲学者、カントの道徳に関する考え方はヒュームとは対照的です。
カントは善悪の判断がなんらかの感情に基づいている場合、純粋で道徳的な判断ではないと考えました。
人類が従うべき絶対的で純粋な道徳は、理性によってのみ与えられる。私たちの道徳観が思いやりなどの感情に基づくものであるとするヒュームの立場と真っ向からガチンコ勝負です。
そのうえで、私たちの道徳的判断は普遍的なルールから理性的に導かれるものだとカントは主張しました。
これが有名な「定言命法(ていげんめいほう)」です。
「汝の意志の格律が常に同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」
これがその普遍的なルールの一つです。
ご安心ください。
これだけ読んで、わかる人はいないと思います。
このルールを、ざっくりかみ砕くと、
「私たちが行動をするときに、誰もがいつでもどこでも同じように行動してほしいと思えるような仕方で行動しなさい」
となります。
うん? まだわかりにくい。問題ありません!
カントの主張を理解するため、「ものを盗むことが道徳的に悪である」ことをこのルールから論理的に導いてみましょう。
私があなたのものを盗むとします。
そうした行為が成り立つには、あなたがそれを所有していることが前提となります。
しかし、「誰もがいつでもどこでも同じように行動」した場合、どうでしょうか。
みんながみんな、いつでもどこでも盗みをしているとしたら、「所有」という概念自体が成り立たないことになります。
つまり、「ものを盗む」というのはカントの普遍的なルールからして論理的矛盾につながるので、道徳的ではないということになります。
これが私たちの道徳が感情ではなく、理性に基づくというカントの主張のイメージです。
感情か? 理性か?
人間の感情は道徳のルーツたりうるのか? そうでないのか?
ここでは、ヒュームとカントの対比をもとに考えてみました。
西洋哲学を象徴する2大哲学者の対立は、西洋哲学の根底に流れている主要テーマの一つであるといっても過言ではありません。
西洋から始まった近代合理化のもたらした現代社会は、オバマ前大統領がいう「エンパシー負債」を抱えるようになってしまいました。
そこでまた、思いやりやエンパシーが、再度注目されているというねじれも、感情か? 理性か? という論争を繰り返してきた西洋哲学史の移り変わりを映し出しているようにも思えます。
スタンフォード大学・オンラインハイスクール校長
経営者、教育者、論理学者
1977年生まれ。スタンフォード大学哲学博士。東京大学文学部思想文化学科哲学専修課程卒業。教育テクノロジーとオンライン教育の世界的リーダーとして活躍。コロナ禍でリモート化が急務の世界の教育界で、のべ50ヵ国・2万人以上の教育者を支援。スタンフォード大学のリーダーの一員として、同大学のオンライン化も牽引した。スタンフォード大学哲学部で博士号取得後、講師を経て同大学内にオンラインハイスクールを立ち上げるプロジェクトに参加。オンラインにもかかわらず、同校を近年全米トップ10の常連に、2020年には全米の大学進学校1位にまで押し上げる。世界30ヵ国、全米48州から900人の天才児たちを集め、世界屈指の大学から選りすぐりの学術・教育のエキスパートが100人体制でサポート。設立15年目。反転授業を取り入れ、世界トップのクオリティ教育を実現させたことで、アメリカのみならず世界の教育界で大きな注目を集める。本書が初の著書。
【著者公式サイト】(最新情報やブログを配信中)
https://tomohirohoshi.com/