哲学史2500年の結論! ソクラテス、ベンサム、ニーチェ、ロールズ、フーコーetc。人類誕生から続く「正義」を巡る論争の決着とは? 哲学家、飲茶の最新刊『正義の教室 善く生きるための哲学入門』の第7章のダイジェスト版を公開します。
本書の舞台は、いじめによる生徒の自殺をきっかけに、学校中に監視カメラを設置することになった私立高校。平穏な日々が訪れた一方で、「プライバシーの侵害では」と撤廃を求める声があがり、生徒会長の「正義(まさよし)」は、「正義とは何か?」について考え始めます……。
物語には、「平等」「自由」そして「宗教」という、異なる正義を持つ3人の女子高生(生徒会メンバー)が登場。交錯する「正義」。ゆずれない信念。トラウマとの闘い。個性豊かな彼女たちとのかけ合いをとおして、正義(まさよし)が最後に導き出す答えとは!?
独善的な「正義」とは?
『人殺しは悪いことだ! 正義に反する! そんなことは考えなくてもわかるはずだ!』と」
なんだかとても既視感のある台詞だった。
―それは悪いことです。
―なぜ正しいことをしないのですか。
―そんなことは考えなくてもわかるはずです。
いつも生徒会室で聞く倫理の台詞の数々。
―倫理的に問題があります!
そうした台詞を聞くたびに、「なぜ、どうして」をもっと説明しろよと思ったものだったが、「宗教の正義」の立場からしたら正当な行為だったというわけか。
「正義くんは、今の叫びを聞いてどう思ったかな?」
「え……えっと……」
一瞬、左隣が気になったが、遠慮しても仕方がない。正直に話すことにした。
「いや、できればもっと説明というか、伝える努力をしてほしいな、と。あまりに断定的で……、その、独善的な印象を受けました」
僕としては、思いきって言ったつもりだった。
独善的。
ちょっとキツい言い方だが、あくまでも一般論として言っただけで、別に倫理に対して言ったわけではない。いや、違うな……。ミユウさんの一件で、倫理の不正行為に対して僕なりに思うところがあるからこそ出てきた言葉なのだろう。結果的にうまくいったからよかったものの、傷つけて終わりだった可能性だってあった。あのときばかりは僕も「他人は責めるくせに、自分のやることには疑いを持たないのか、それではあまりに独善的ではないか」と思ったものだった。
と、不満に思いつつも、気になって視界の端で倫理の様子をうかがう。倫理は僕を強くにらみつけていた……だったらよかったのだが、倫理はとても心外そうに傷ついたような顔をしていた。
僕は、そのことに、うろたえ、ショックを受ける。言い過ぎたかもしれない。だが、とりなすタイミングもないので、僕は倫理の反応に気がついていないふりをするしかなかった。
「たしかに独善的だな」
先生は、僕の言葉を繰り返した。