哲学史2500年の結論! ソクラテス、ベンサム、ニーチェ、ロールズ、フーコーetc。人類誕生から続く「正義」を巡る論争の決着とは? 哲学家、飲茶の最新刊『正義の教室 善く生きるための哲学入門』の第7章のダイジェスト版を公開します。


 本書の舞台は、いじめによる生徒の自殺をきっかけに、学校中に監視カメラを設置することになった私立高校。平穏な日々が訪れた一方で、「プライバシーの侵害では」と撤廃を求める声があがり、生徒会長の「正義(まさよし)」は、「正義とは何か?」について考え始めます……。

 物語には、「平等」「自由」そして「宗教」という、異なる正義を持つ3人の女子高生(生徒会メンバー)が登場。交錯する「正義」。ゆずれない信念。トラウマとの闘い。個性豊かな彼女たちとのかけ合いをとおして、正義(まさよし)が最後に導き出す答えとは!?

「殺人鬼が、家族の居場所を尋ねてきたら?」哲学者カントの意外な答え

カントの道徳観とは?

前回記事『哲学者ニーチェはどこが「すごい」のか?』の続きです。

 「でも! それでも、私は、正しいものは正しい。善いものは善い。そうした絶対的なものが、やはりこの世にはあると思います」

 倫理はあくまでも倫理を貫き通す。

「なるほど。だが、そうだとしても、キミ自身はその絶対的な正しさに到達できない。それはキミ自身が一番よくわかっていることではないのかね」

「どういうことですか?」

「実存主義の哲学者キルケゴールが『死に至る病』という本の中で言っていることだが、まあ単純なことだ。人間は、有限で不完全な存在であるのだから、無限に正しい善、完全な正義がどんなものか知ることはできないし、実行することもできない。そのため、人間は絶望するしかない、ということだ」

「いいえ、それは悲観的すぎます。人間は、完璧に正しい善を知ることも実行することもできます。たとえば、人を殺すことは間違いなく悪です。嘘をつくことも間違いなく悪です。ということは、その逆は間違いなく善なのですから、つまり、人を殺さない、嘘をつかないは万人が従うべき完璧な善だと言えると思います」

「万人が従うべき、完璧な善か……。なるほど、キミの道徳観は、カントと同じだな。カントは、人類史上、もっとも道徳について考えたとされる哲学者だが、彼もキミと同様、たとえば『嘘をついてはいけない』などのような、絶対的に正しいと言える道徳規則がこの世にはあるのだと考えた。しかしだ……」

 先生は、少し申し訳なさそうに続ける。

「あるとき、その道徳規則を気に入らない人が、カントにこんな意地悪な質問をした。家に殺人鬼がやってきて、家族の居場所を訊いたとする。もし、家族の居場所を教えてしまえば、殺人鬼はその足で家族を殺しに行くだろう。さあ、キミは殺人鬼に何と答えるべきだろうか?」

 これは、つまり……、嘘をつけば家族が助かるが、嘘をつかなければ家族が死ぬ、という二択を迫る思考実験というわけか。