自民党本部
国民の期待とは裏腹に、「縦割り行政打破」の実現が至難の業である理由とは Photo:PIXTA

「縦割り行政打破」は
今に始まった問題ではない

 河野太郎・行政改革担当が設置した「行政改革目安箱」に、わずか半日で4000通が殺到したことからもわかるように、菅政権の「縦割り行政打破」への国民の期待が高まっている。

「ワタシ、太郎ちゃん、好きよ。なんでもズケズケ言ってくれるし、期待しちゃう」なんて感じで、街頭インタビューに登場するマダムたちの評判もおおむね好評。ネットやSNSでも「霞が関の人事権を掌握している菅氏には、抵抗勢力をものともせずにバッサバッサと大ナタを振るうことを期待したい」なんて好意的な声が多い。

 だが残念ながら、この「縦割り行政打破」は大スベりしてしまう可能性が高い。現在の「なんかやってくれそうだ」的なムードもいつの間にやら忘れ去られ、数年後に「そういや、なんか『縦割り行政打破』って言葉が流行したこと、あったね」と、民主党政権時代の「事業仕分け」みたいになってしまう恐れがある。

 菅さんや河野さんに政策実行力がないなどと、批判をしているわけではない。むしろ、このお2人のリーダーシップ、発信力をもってすれば、時代遅れの制度や慣習を壊して、新しいシステムをつくれるとも思う。

 ただ、そういう改革を断行すれば当然、「改革派」という新たな既得権益グループが生まれる。となると、そこに入れない人々との縄張り争いも激化する。セクショナリズムも健在だ。結局、見え方が変わっただけで、「縦割り行政」というDNAは脈々と次世代に受け継がれていくのだ。

 実際、現在60代くらいの方は覚えていると思うが、日本では1960年代くらいから「行政の縦割り」を問題視する声が上がっていて、国会でも「打破」や「行政改革」の必要性が叫ばれてきた。たとえば昭和43年3月13日、衆議院の予算委員会で、故・中村重光衆議院議員がこんな熱弁を奮っている。

《縦割り行政の弊害と、こう申し上げたほうがいいのではないかと思いますが、各省でいろいろなことを計画されるのですが、もう少しこれを総合的におやりになったならばよろしいのではないか、むだが省けるのではないかと思うことがたくさんあります》