炎上を火遊びだとすると、僕はその火遊びを『三匹の子ブタ』でいうレンガの家の中でやってますね。

――わらで作った家でも木で作った家でもなく。

 炎上しても僕自身や家が困らないようにしています。ネットで炎上しても物理的な家は燃えない。周りからは「暴走機関車」みたいな連想で「炎上の人」って思われたりしますけど、節度ある暴走をしてる。それに、「炎上の人だー!」って言われるのって、悪名は無名に勝るって感じで「そう評価していただけて嬉しい」くらいに思ってるんですよ。そういった気持ちの余裕が持てるのは、リスクヘッジをしているから。さっきの憲法の話でいえば、「ファクトにとどめる」ということ。良いも悪いもない事実でしかない。ちゃんと守りを固めてるんです。

――でも、SNSユーザーはファクトからメッセージを読み取って怒ったりしますよね。

 それって「記述的文章」と「規範的文章」がごっちゃになってるんですよ。

――言語学でいわれる話ですね。「記述的文章」は事実か事実でないかを言うだけのファクト。「規範的文章」は価値観を含むもので、「~すべき」みたいな論理になる。

「これこれの子どもは統計的に死亡率が高い」って記述的に書くじゃないですか。すると、「そんなことを、子を亡くした親の前で言えるのか!人でなし!」とか言われるんです。そんなの言わないに決まってる。ただファクトをつぶやいてるだけなんです。たとえば「すべての子どもは健やかに育つべきだ」って規範的文章を書いたら、みんな肯定しますよね。で、問題なのは、この「すべての子どもは健やかに育つべきだ」と「これこれの子どもは統計的に死亡リスクが高い」は両立する、同じ軌道上にあるってことに気づかない人がいることです。死亡リスクの統計は、子どもの生育環境の改善に生かせたりする。矛盾した話でもない。なのに、それを「矛盾」ととらえてしまう。そんな人が多い気がします。

――書いていないことを勝手に読み取って怒る人がいたりする。

 もちろん僕のツイートで不買運動等が起こったらマズイですよ。だからZOZOの時に「説明せよ」ってなったこともあります。その時に、僕のツイートのポジティブな部分が評価される半面、結果的に迷惑をかけたという指摘も出る。そこは総合判断になる。ただ、最大限、会社に迷惑をかけないように意識はしてました。守秘義務は当然守るし、自分が取り引き先に行った時に、その地域や会社やビジネスを連想させることは絶対に書かなかったですね。

「価値ある発信」をするには
どうすればよいか

――仮にある人がTwitterを始めるとして、「価値ある発信」をどう始めたらいいのかを考えると思うんですが、たとえば「発信することがない」という人の最初の一歩はどうクリアすれば良いでしょうか。

「しのごの言わずやってみろ」が前提。その上で、「自分からしたら凄くないことが他人から見たら凄いことだった」的なことはよくあるので、自分の価値、他人からどう見られているかを知るのは大事ですね。客観的な視点。農家の人がTwitterをやるとするじゃないですか。その時に大事なのは、スーパーにどんな感じで作物が並べられて、それが家庭でどう調理されているかを学ぶことです。それを意識して発信する。あるいは、農家の人しか知らないおいしい食べ方が実はあるかもしれない。でもそれは農家の人にとっては当たり前で、発信しようという発想に至らなかったりする。客観視が大切です。これはスポーツも一緒で、タイガー・ウッズにもテニスの錦織圭にもコーチがいるじゃないですか。ハッキリ言ってその2人ってコーチより強いんですよ(笑)。対戦したらコーチが負ける。それでもコーチが必要なのは、自分を客観視する目が必要だからですよね。

―― 一般の人が自分を客観視するにはどうしたら良いのでしょうか。

 それこそ、Twitterなんかはある意味で見知らぬ他人ばかりなんで、発信に対するリアクションは客観化に生かせますね。で、おいしいところを教材にしていく。