自己評価では、Rivkin教授のクラスにおいて、私はとりわけ抜きん出ていた学生ではありませんでした。2年時のコースということもあり、ほどほどに力を抜く術(すべ)を身につけていた自分は、授業に取り組む姿勢や意欲をみても、名前を記憶しておくほどの強い印象を与えた学生だったという感覚はありません。

 にもかかわらず、毎年何千人もの卒業生と接してきた人気教授が、一人の日本人学生の名前を記憶しているというのは、どういうことなのでしょうか。

人間関係は名前を覚えることから

 実は、HBSでは、教授は学生の一人ひとりの名前と顔、そしてバックグラウンドを覚えることに、大変な時間と労力を投入しています。

 通常のクラスサイズは90人で、階段型のクラスルームの席には、必ず自分の名札を置いて授業に臨みます。教授は、毎回その名札を見て学生を指せばいい話なのですが、ベテランの実力派教授であればあるほど、名札を見ずに学生を当てるのです。

 その陰には多大な努力と、ちょっとしたコツがあります。

 これから当てようとする学生の名札をチラ見し、自分のおぼろげな記憶とマッチさせたあと、何気なく逆側の学生達に目をやり、ワンテンポをおいてから、元の学生の顔を見て、名札を見ずに名前を呼ぶのです。その時は自分の記憶の迷いを払いのけ、自信満々にその学生の名前を発するのです。

 なぜ、これだけの努力をしてまで教授は学生の名前を覚えようとするのでしょうか?

 あるいは、覚えている振りをするのでしょうか? それは、教授と学生という師弟関係にあろうとなかろうと、名前をファストネームで呼び合うことが、人間関係の根底にあるという根強い考え方があります。

 事実、久々に会った知り合いが、あるいは、会ったばかりの相手が、自分の名前を親しげに呼んでくれたら、悪い気はしないでしょう。むしろ、相手に対して、うっすらと好意を抱くのではないでしょうか。

 相手は、きっと自分に興味を持ってくれているか、好意を持ってくれている。あるいは、自分は相手に対して、印象深い「何か」を持っているのかもしれない。いろんな理由が頭をよぎるでしょう。そして、相手が自分の名前を覚えてくれているのなら、自分も相手の名前を覚えようという気持ちが湧きあがります。

 結局、自分が先に相手の名前を覚えるか、相手が自分の名前を先に覚えるかのどちらかです。もし、自分を相手の記憶に残したいと思うのであれば、まずは自分が相手のことを記憶に留めることが大事ということです。