さて、いかがでしょう?

 「専門の医師ではないのだから、CT画像の診断なんてできません」なんて言わないでくださいね。すぐに気づいた人もいるかもしれませんが、この画像の右上部分に注目すると、ゴリラが片手を挙げているのがわかります。

 これは調査のために人工的につくられたものであり、もちろんCTにゴリラのシルエットが写り込むことはあり得ません。

 こんな単純な異常に気づけないのは、私たちが医師として十分なトレーニングを受けていないからなのでしょうか?

 そうではありません。熟練した24名の放射線医師(28~70歳)にこの画像を見せたところ、なんと20名(83%)がゴリラの存在に気づけなかったというのです。また、その際の眼球の動きを確認してみると、20名のうち8名はゴリラに眼を向けることさえしておらず、残りの12名は、直視していたのに気づかなかったということが判明しています。

 CT画像上のゴリラは実際にはマッチ箱ほどの大きさであり、これは標準的な結節影(異常箇所の可能性がある陰影)の48倍ものサイズでした。彼らは肺の白い部分を細かく観察することには慣れている一方、黒くて大きいゴリラのシルエットという予想外のものは知覚できなかったようです*。

* Trafton, Drew, et al., “The Invisible Gorilla Strikes Again: Sustained Inattentional Blindness in Expert Observers,” Psychological Science, 29(9) (September 2013): 1848-1853.

 「観ているつもりで見えていない」――これは恐るべきことだと思いませんか?

 ビジネスや日常生活における見落としであれば、それは損失として跳ね返ってくるまでです。しかし、医療現場での知覚力低下は、人の命に関わります。CT画像のゴリラを見落とすような医師に、自分や家族の命を預けていると考えると、ゾッとする方も多いのではないでしょうか。

 いずれにせよ、このような事態はあらゆるところで起こっています。書類上の見逃しから、誤診、自動車事故、欠陥商品、人違い、マーケット変化の見落としや経営判断ミスまで……私たちはいつも何かを知覚し損なっているのです。

 また、他人のちょっとした表情の変化にも気づけないため、人間関係や大人のコミュニケーションにも支障を来たすことがあります。優れたアイディアのタネがすぐそばにあっても、それを素通りしてしまい、なかなか創造性を発揮できないといったケースもあるでしょう。

世界トップの医学生でさえ
「見えるはずのもの」が見えていない

 イェール大学メディカルスクール教授(現名誉教授)のアーウィン・ブレーヴァーマンを突き動かしていたのも、まさにこのような問題意識でした。

 同大のメディカルスクール(医学大学院)に入学してくる学生たちは、4%前後の合格率を突破した精鋭たちです。彼らは一流大学の卒業生であり、そこでの成績評価値(GPA)は平均3・9ポイント(最高値は4)。さらに、8時間にも及ぶ適性試験(MCAT: The Medical College Admission Test)で上位5%に入る成績を獲得しています。すなわち、米国で最も優秀な学生たちの集団と言っても過言ではありません。

 同校の皮膚科教授だったブレーヴァーマンは、そんな学生たちを20年以上にわたって指導し、最前線で活躍する医師として送り出してきました。

 しかしある日、患者診察の臨床実習をしているときに、彼は大きなショックを受けます。「患者の症状を観察して、しかるべき診断を下し、それを患者に伝達する」という医師の原点とも言うべき能力が、学生たちから失われていることに気づいたからです。

 「いったいどうなっているんだ? 患者の皮膚変色や斑点は明らかなのに、学生たちにはまったく見えていないようだ。それなのに結論を急いだり、テクノロジーに頼って診断したりしているなんて……」

 ちょうど同じ頃、同僚たちから似たような報告が相次いだこともあり、ブレーヴァーマンが学生たちの異変を確信するまでに長い時間はかかりませんでした。学生たちは詳細かつ総合的に観る能力を失いかけていたのです。

 「この問題を即刻解決しなければ、ここから巣立っていく未来の医師たちが、誤診や治療ミスを犯してしまうかもしれない」――彼はそんな危惧にとらわれました。