新しいものは「誰かの主観」から生まれる

 これと同様に、たとえば、「最も将来性がある会社はどこか?」と問えば、そこでは十人十色の答えが返ってきます。これは、人によって蓄積している知識が異なり、世界の見え方が違うということを意味しています。

 ここで言いたいのは、「どの知覚・どの解釈が正しいのか」ということではありません。むしろ、知覚の価値は、他人とは異なる意味づけそれ自体のなかにあります。専門家であろうと門外漢であろうと、知覚にはその人なりの独自性があります。他人と異なる解釈にはつねに創造性のポテンシャルが秘められており、これこそが知覚が持つ絶大な意義なのです。

 独自の斬新な解釈が、停滞した状況にブレークスルーをもたらすことは、身の回りでも日常的に起こっています。

 重苦しい雰囲気の会議中に、独創的な意味づけを提案して、その場に新鮮な息吹きを与えてくれる人物を、みなさんもきっと1人くらいは思い浮かべられるのではないでしょうか? そうした意味づけは往々にして人々を活気づけ、新たな発想や発見を誘発します。

 アートの歴史を辿っても、イノベーションの原点にはいつも「他人と違う解釈」があります。

 たとえば、パブロ・ピカソ(1881~1973)は、「絵画は1つの視点から描くもの」というルネッサンス期以来の解釈から離脱してみせました。彼はジョルジュ・ブラック(1882~1963)とともに、1枚の絵にマルチな視点を採用するキュビスムという芸術運動を牽引し、20世紀以降の美術史の流れを大きく変えたのです。

 ウジェーヌ・ドラクロワ(1798~1863)による《アルジェの女たち》という作品をご存じでしょうか。

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ウジェーヌ・ドラクロワ - The Yorck Project(2002年)10.000 Meisterwerke der Malerei(DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202., パブリック・ドメイン, リンクによる

 拙著『知覚力を磨く』では、この絵画に着想を得てピカソが描いた《アルジェの女たち バージョンO》という作品も合わせてカラーで掲載しています。両者を比較すると、ピカソの知覚が「他人の解釈」と大きく異なっており、それが圧倒的な創造性につながっていることを実感していただけるからです。

 「単にピカソが特別な存在だったのでは?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、ドラクロワもまた「他人と違う解釈」によってピカソを唸らせた存在でした。ドラクロワは「色は混ぜて使うもの」という伝統的な解釈を覆し、赤と緑、青とオレンジ、黄色とパープルといった反対色をそのまま並べても色のハーモニーを生み出せるという知覚を得て、それを実証した画家だったのです。

 ドラクロワによる独自の意味づけに惹きつけられたピカソは、ルーブル美術館に足を運んではこの作品に釘づけになっていました。ピカソの愛人だったフランス画家のフランソワーズ・ジローによれば、ピカソはドラクロワについて「あいつ、本当にいいね」と語っていたのだそうです(*03)。

 このように、名画という「イノベーション」は、他人とは異なる解釈に基づいて思考し、それを具現化したときに初めて生まれます。美術史とはこのようなイノベーション過程の連鎖にほかならないのです。

(注)
*01 知覚を定義するにあたっては、この領域の権威であるエリック・カンデル(コロンビア大学生化学教授、ノーベル生理学・医学賞受賞)とボー・ロット(ロンドン大学脳科学准教授)の著書を参照した。Kandel, Eric, The Age of Insight: The Quest to Understand the Unconscious in Art, Mind, and Brain, New York: Random House, 2012./Kandel, Eric, Reductionism in Art and Brain Science: Bridging the Two Cultures, New York: Columbia University Press, 2018./Lotto, Beau, Deviate: The Science of Seeing Differently, New York: Hachette, 2017. また、知覚の重要性に言及した和文記事としては次のものがある。安宅和人「知性の核心は知覚にある」『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2017年5月号
*02 リフレーミングとは、枠組みを変えて事象をとらえ直すこと。カウンセリングの場面では、ポジティブな枠組みで物事をとらえることの有益さを伝えるときに、「水が入ったコップ」の画像を用いることがある。
*03 Gilot, Francoise, Life with Picasso, New York: McGraw-Hill Book Company, 1964.

(この記事は『知覚力を磨く──絵画を観察するように世界を見る技法』の内容を抜粋・編集したものです)