これからビジネスパーソンに求められる能力として、注目を集めている「知覚」──。その力を高めるための科学的な理論と具体的なトレーニング方法を解説した「画期的な一冊」が刊行された。メトロポリタン美術館、ボストン美術館で活躍し、イェール・ハーバード大で学んだ神田房枝氏による最新刊『知覚力を磨く──絵画を観察するように世界を見る技法』だ。
先行きが見通せない時代には、思考は本来の力を発揮できなくなる。そこでものを言うのは、思考の前提となる認知、すなわち「知覚(perception)」だ。「どこに眼を向けて、何を感じるのか?」「感じ取った事実をどう解釈するのか?」──あらゆる知的生産の”最上流”には、こうした知覚のプロセスがあり、この”初動”に大きく左右される。「思考力」だけで帳尻を合わせられる時代が終わろうとしているいま、真っ先に磨くべきは、「思考”以前”の力=知覚力」なのだ。
その知覚力を高めるためには、いったい何をすればいいのか? 本稿では、特別に同書から一部を抜粋・編集して紹介する。

天才たちは「眼のつけどころ」が違う。ノーベル賞受賞者の9割が「アート愛好者」でもあるワケPhoto: Adobe Stock

「絵画を観察するように世界を見る技法」
が未来を拓く

 前回は、イェール大学メディカルスクール教授(現名誉教授)のアーウィン・ブレーヴァーマンが開発した「絵画観察トレーニング」についてお伝えしました。医学生たちの知覚力が著しく低下していることを懸念した彼は、絵画の観察を通じて人間の「眼」と「脳」を磨く科学的方法をつくりだしたのです。

 これに類したプログラムはハーバード大学でもはじまっていますし、UCLA、コーネル大学、コロンビア大学、スタンフォード大学をも含む100校以上で、こうしたトレーニングが採用されるようになっています。さらには、ビジネススクールや企業研修の領域(サイエンス、リベラルアーツ、リーダー育成など)へも拡大し続けています。

 美術史学者として知覚と絵画の関係の研究をしてきた私は現在、法人教育コンサルタントとして「絵画観察トレーニング」を土台とした研修を企業・大学・病院向けに提供しています。

 このたび上梓する『知覚力を磨く』のさしあたっての目的は、みなさんの「眼」と「脳」の能力を引き出す知覚力トレーニングやその背景にある考え方をご紹介することです。書籍のサブタイトルにもなっているとおり、私はこれを「絵画を観察するように世界を見る技法」と名づけました。

 「絵画を観察するように」と言っても、それはみなさんがイメージされる美術鑑賞とは少し違います。私がここで想定しているのは、「美術史学研究者が絵画を観察するときのプロセス」に近いからです。

 美術館で仕事をしていると、物置から出てきたガラクタのようなものから、国宝級の作品に至るまで、さまざまな絵画の調査を行う機会があります。そうした作品を観るときには、展示された絵を前にして「きれいだなあ」と鑑賞するのとは別の観察の仕方が必要になります。また、大学生や一般ビジターに、そうした方法を教えたりする機会もよくありました。

 その当時から私は、知覚の本質にも通じているこの観察技法に関して、「これは絵画”以外”の世界でも役に立つのではないか?」という予感をずっと抱いていました。

 ですから、ブレーヴァーマンのトレーニングが、医療はもちろん、ビジネスから、リーダーシップ、サイエンス、エンジニアリング、デザイン、日常生活など、あらゆるシーンで効果を発揮していると知ったとき、まさに我が意を得たりという思いだったのです。

 「だとしても……わざわざ『絵画』を観察する必要があるのだろうか?

そう感じた方もいると思います。もちろん、みなさんの最終ゴールは「絵画」の観察ではありません。眼の前にあるビジネス環境や顧客の潜在ニーズ、部下や生徒の表情を、より鋭く知覚できるようにならなければ、意味がないですよね。

 ですから、絵画観察を通じたトレーニングというのは、とんでもない回り道のように感じられるかもしれません。

 しかし、現実の世界はあまりにも広大でとりとめがないため、いきなり観察対象にするにはハードルが高すぎるという問題があります。まずは絵画という「フレームで区切られた小宇宙空間」のなかで観察技法を身につけたほうが、はるかに学習効率がいいのです。

 絵を対象に「眼のつけどころ」を磨いていけば、観る対象がどれだけ変わろうとも、みなさんの脳は「固定観念・認知バイアス・情報過多」から解き放たれ、これまでにない視点で世界を知覚できるようになっていきます。知覚力が高まった結果、仕事や日常生活のあらゆる知的生産プロセスが加速するのも、同時に実感していただけるはずです。