中途失明の難波創太さんは、視力を失ってからは、コンビニに入っても最初に決めておいた欲しいものだけを買って帰るようになったという。つまり、「コンビニに踊らされなくなった」のである。難波さんも、失明した当初は情報量の少なさに戸惑い、どうやったら情報を手に入れられるかという「飢餓感」に悩まされたそうだ。意識にのぼってこない情報は追わなくてよいのだと考えるに至るまで、2、3年かかったと語る。「見えない世界の新人」のうちは情報の少なさを欠如としてとらえてしまった。脳が作り上げた新しいコンビニ空間で十分に行動できるとわかったとき、難波さんは情報に踊らされないことの安らかさを感じられたのではないだろうか。

◇見えない人には死角がない

 視覚を使う限り、想像の中も含めてどこから空間や物を見ているかという「視点」が存在する。そして、一度に複数の視点を持つことはできないと大抵考える。

 国立民族学博物館の准教授で全盲の広瀬浩二郎さんがよく用いる例に、大阪万博のシンボルである太陽の塔がある。広瀬さんは「太陽の塔に顔がいくつあるか知っていますか」と尋ねる。見える人の多くは「2つ」だと答える。てっぺんの「金色の小さな頭」と胴体の中央にある「大きな顔」のことだ。しかし、実は背中側にも「黒い太陽」と呼ばれる3つ目の顔がある。見える人は万博公園入口からの視点にしばられてしまうため、裏側の顔に気づかない。一方、模型で太陽の塔を理解している視覚障害者では、こうした誤認が起きにくいと広瀬さんはいう。模型はすべての面をまんべんなく触ることができるので、特定の視点にしばられずにものを立体的にとらえられるのだ。見えない人には「死角」がないのである。

 また見えている人は、見るのにふさわしい面を「正面」と呼び、その反対側を「裏面」とする。「裏」という言葉には時に反社会的な意味合いさえ加わる。翻って見えない人の場合、こうした表/裏のヒエラルキーはない。太陽の塔の3つの顔もすべて等価となり、すべての面を対等に扱うことができる。

◆感覚の差
◇見えない人の聴覚、触覚

 見えない人は「特別な聴覚や触覚を持っている人」なのだろうか。