永田町では「大勲位」と呼ばれていた元首相、故中曽根康弘の内閣・自民党合同葬が10月17日営まれた。会場となった東京・高輪のグランドプリンスホテル新高輪には降りしきる冷たい雨の中、参列者の列が続いた。101歳という長い人生を生き抜いたからだろう。中曽根の政治家人生を支えた見慣れた顔がめっきり少なくなっていた。
コロナ禍も加わって1400人の招待者に対して参列者は640人。会場も2会場に分離され、9600万円の国費投入に改めて疑問符が付いた。
中曽根が生涯を閉じたのは昨年11月29日。東京・目白台の私邸に安置されていた遺骨は、パトカーに先導されたトヨタ・センチュリーで長男の元外相、中曽根弘文に抱かれてホテルの玄関に到着した。葬儀委員長である首相の菅義偉、自民党幹事長の二階俊博らの出迎えを受け、孫の衆院議員、中曽根康隆によって式場に運ばれた。
祭壇中央の遺影の前には、中曽根が受章した大勲位菊花章頸飾と額に入った日の丸が置かれた。参列者には天皇、皇后両陛下と上皇ご夫妻の使者、秋篠宮ご夫妻ら皇族方に加え歴代の首相経験者がズラリと顔をそろえた。しかし、この日の主役はあくまでも菅だった。