人類の進化を操作できる恐ろしい力

 クリスパーというのは、多くの細菌が持っている、DNAの領域の名前である。クリスパーの中には、リピート配列とスペーサー配列が交互に並んでいる。

 すべてのリピート配列は同一で、その塩基配列はほぼ回文になっている。回文というのは「たけやぶやけた」のような、左から読んでも右から読んでも同じ文のことだ。DNAの場合は二本鎖で、かつA(アデニン)はT(チミン)と、G(グアニン)はC(シトシン)と塩基対を形成するので、塩基配列の回文は以下のようなものになる。

 A T G T G C A C A T
 T A C A C G T G T A

 いっぽう、それぞれのスペーサー配列は、ウイルスのDNAの塩基配列と一致しており、細菌が過去に感染したウイルスのDNAの一部を取り込んだものと考えらえている。

 細菌はウイルスに感染すると、そのウイルスのDNAの一部をスペーサー配列としてクリスパーに取り込む。すると、それ以降は、取り込んだスペーサー配列と同じ塩基配列を持つウイルスに感染しても、ただちにそのウイルスのDNAを分解できるようになる。一度感染したウイルスは、再び感染しても、細菌の中で増殖することはできない。つまり、「クリスパー・キャス」システムは細菌の免疫システムなのである。

 いっぽう、キャスというのは、細菌のDNAのクリスパー領域の近くに存在する遺伝子群、およびそれらから作られたタンパク質のことである。「クリスパー・キャス」システムは、このキャスタンパク質と、クリスパーDNAから転写されたクリスパーRNAが協力することによって、働くのである。

 キャスタンパク質にはいくつかの種類があり、たとえばキャス3はウイルスのDNAを細かく切り刻むが、キャス9はウイルスのDNAを一ヵ所だけ切る。ここではキャス9について説明しよう。

 ウイルスのDNAが細菌の中に入ってくると、まずキャス9がDNAの二本鎖をこじ開ける。そしてクリスパーRNAが、そのうちの一本に結合する。それからキャス9が、ウイルスのDNAの二本の鎖を切断するのである。

 この、キャス9を使った細菌の免疫システムを、DNAの改変に応用した技術を、クリスパー・キャス9という。実際の細菌の免疫システムでは、クリスパーRNAが2種類必要である。しかし、クリスパー・キャス9という技術では、一方のRNAの末端ともう一方のRNAの先端を人工的につなぎ合わせたRNA(ガイドRNAと呼ばれる)を作る。実際の操作では、2本のRNAを扱うより1本のRNAを扱う方が楽だからだ。

 このガイドRNAが持っている情報は、本来はウイルスの塩基配列だが、これを他の生物、たとえば動物の塩基配列に変えれば、動物のDNAの改変に使えることになる。そして、ヒトの塩基配列に変えれば、ヒトのDNAを改変できてしまう。

 ゲノム編集とは、生物の遺伝情報を自由に改変する技術である。この技術を手にしたことによって、私たちは現在の人類のDNAだけでなく、次の世代のDNAも編集できるようになった。つまり、人類の進化さえ操作できる、恐ろしい力を手にしてしまったことになる。人類の知性が本当に試されるのは、これからということだ。

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