NTT帝国の逆襲#8Photo:domin_domin/gettyimages

NTTの澤田純社長が就任して2年半。矢継ぎ早に大改革を進めてきた澤田政権も中盤戦に入る。有力な後継候補は3人。それぞれが重大なミッションを負っており、社長選抜の基準は実績重視となることは間違いない。特集『デジタル貧国の覇者 NTT』(全18回)の#8では、澤田独裁政権の下、にわかに始まったNTT帝国の社長レースを実況中継する。(ダイヤモンド編集部副編集長 浅島亮子)

NTT主要6社幹部123人の独自分析で露呈
外部人材はじく「純粋培養」組織の実態

 コム社長失脚事件――。かつて、NTT(持ち株会社)社長候補として有力視されながらも、夢破れた人物がいる。鈴木正誠・NTTコミュニケーションズ(コム)社長(当時。1965年入社)がそうだ。

 分割・再編議論を経て、99年に持ち株会社が発足したとき、コムは長距離通信と国際通信を担う会社としてスタートした。その初代社長に就いたのが鈴木氏だった。

 国内から海外へ、音声からデータへと通信事業者のベクトルが大きくシフトしているときに、コムはグループの“花形”の事業を担うことになった。そのため、新会社発足のときも「リストラ対象社員を押し付けられたNTT東日本・西日本とは異なり、優秀な社員がコムに集められた」とNTTのOBが証言するように、コムの優遇は明らかだった。規制でがんじがらめになっているNTT東西とは一線を画し、コムは、フリーハンドでフロンティアを開拓する使命を負っていたのだ。

 鈴木氏は、光回線事業でNTT東西とガチンコ勝負するなどの攻めの姿勢を貫き実績を上げた。コムの成長と比例するように鈴木氏の評価も上がり、ついに宮津純一郎・NTT社長(第4代)の後任とまでいわれるようになった。

 だが、海外投資の巨額損失の付けが回り完全に社長レースから脱落、2002年にNTT社長として選ばれたのが和田紀夫氏(第5代)だった。05年に、その和田氏によって鈴木氏は引導を渡されることになる。

 それから15年。コムのDNAを受け継いだ澤田純・NTT社長は、「ドコモコムコム(NTTドコモ、コム、NTTコムウェア)の融合」「グローバル再挑戦」「R&D(研究開発)改革」を進める要所に、コム人材を重用している(コム人材の登用については、本特集『デジタル貧国の覇者 NTT』の#3『NTTの独裁者・澤田社長を直撃!「GAFAに対抗」をしつこく唱える理由』参照)。

 鈴木氏が果たせなかったコムの覇権掌握。コム人材の偏重登用は、長らくNTTが受け継いできた「人事の流儀」――選民思想、軍隊的なメンバーシップ組織、グループ企業序列――を激変させる起爆剤となるかもしれない。

 ダイヤモンド編集部では、まず現状を把握するために、NTTグループ主要6社に在籍する123人の幹部(非常勤取締役、社外取締役、監査等委員を除く)の陣容について調べた。そうすることで、NTTの人事の硬直性をあぶり出した。

 その上で、熾烈な澤田社長の「後継レース」の状況と、急浮上した3人の有力候補の人物評について、NTTグループ幹部らの取材を基に浮き彫りにする。