自粛意識が低めの人たち
「アンチ」の信念が補強される
まずは、感染拡大初期から自粛意識が低かった人を取り上げよう。1人目は、飲み歩きを続ける不良中年Aさん(42歳男性)である。
Aさんは、女性の接客を伴わず、席間の広い店を好んだ。店選びの点では「自粛している」と言えたかもしれないが飲む頻度が非常に多いので、総合的には「自粛意識低し」となる。もっとも本人なりに言い分はあって、「リスクで言ったらランチも夜の飲みもそんなに変わらないと思うし、なんなら飲みより通勤電車の方がリスクは高いのでは」とのこと。だから「仕事という名目とはいえ通勤電車を甘んじて受け入れているのだから、そこにあまり触れないようにして飲みのリスクだけを取り沙汰するのも釈然としない」という考えに至った。自身の趣味である飲み歩きを正当化しようとする心理も働いているかもしれない。
第1波から現在にかけてAさんの飲み歩きの頻度は一向に変化していないが、考え方については変化があったようである。
「君子危うきに近寄らずで、店選びをしっかりしていれば感染は高確率で防げるのではないかと。もしかしたら自分が感染を免れているのは店選びなど関係なく、単に運がいいだけかもしれないが、それはそれで『自分はラッキーな星の下に生まれたのだな』とうれしい。
これだけ飲み歩きをしても平気なのだから、家族や同僚などの自粛意識は行き過ぎている感じがして、歯がゆさを覚えることもある」(Aさん)
自分の体験を通して得た経験則はその人にとって真実となる。Aさんは飲み歩きを経て、己の真実の信ぴょう性をどんどん高めているようであった。揚げ句に「自分は運がいいかもしれない」と幸せに思うこともあるようで、人の考え方には実にさまざまな可能性があることを思い知らされる。
次に紹介するのは、「アンチ自粛」のBさん(40歳男性)だ。Bさんが自粛を遠ざけようとするのは、ざっくりいって、世間が帯びがちな“全体的な傾向”に対する疑念と反逆である。自粛に関する考え方をネットで読みあさった末、Bさん自身のアンチ自粛は構築された。
「結局コロナをおそれることがおよそ全体主義的である。それに染まるのは気分が悪い。だから自分は自粛をしない」というのが、Bさんの基本理念の骨子である。
「気にしたところで感染する時はする…という考えは当初から今まで変わっていない。自分は気にしないように振る舞ってきたが感染していないのが事実であり、あれこれ気をもむことを良しとする全体主義が目指す境地を、“気にしない自分”が体現してしまっていることから、やはり全体主義はおろかに思えてしまう。第3波まで来て、その思いは一層強くなっている」(Bさん)
多くの反論が予想されるBさんの持論だが、ここではあくまで個人の一意見として消化するにとどめたい。
AさんとBさんのように当初から自粛意識が平均より低く、また本人たちが「あえて低く保とう」と考えているようなフシがある場合は、第3波に至って「ほら、自粛意識なんて低くても平気でしょう?」と確信を得ているようである。