マーケティングの仮説が
実証されて売れると嬉しい
“行き先”をつくるという考え方は、広告の発想にも影響を与えたという。篠原氏の発想の方法は独特だ。広告をつくるとき、まずクライアントである企業や商品が、世の中で「こういうふうな存在になったらいいな」という“行き先”を決めるのだ。
「au三太郎のCMのときは、“おもカワイイ”という行き先を決めました。競合他社のイメージが『信頼安心』だったり、『尖ってて面白い』だった。ではauを好きになってもらうには、どのような“行き先”がいいのか? よく立食パーティーで盛り上がっているグループがあるじゃないですか。その中心には、格好いい人やスゴイ人じゃなくて、面白くて人としてカワイイ人がいることが多かったりする。そういう存在をめざそうとしたんです」
“行き先”が決まると、いったん忘れて、企画をゼロから考える。auの場合、当時のスローガンが「あたらしい自由」だった。つまり、既成概念を打ち破ってあたらしい価値を生み出そう、というコンセプトである。
「そこで皆が知っている既成概念とは何かと考えて、思いついたのが昔話。その昔話に登場するキャラクターの設定を、少しずつズラしていったらどうかと考えた。そうして女々しい金太郎や、やんちゃな桃太郎、愚鈍な浦島太郎、桃太郎の恋人はかぐや姫という発想になった」
お馴染みの昔話に登場するキャラクターたちが、ユニークな性格を与えられ、型破りのストーリーを繰り広げていく。まさに“おもカワイイ”の世界が展開されたCMは話題になり、auの新しいイメージも定着、2015年度のクリエイター・オブ・ザ・イヤーを受賞した。
ただし篠原氏は、自分のつくるCMが作品と呼ばれることに抵抗があるという。
「広告は自分を表現するアートではないですから。僕は広告より商品のクリエイティビティのほうがスゴイと思っていて、その発明品を世の中の人たちに知ってもらうのが仕事です。賞をもらうより、商品が売れてマーケティングの仮説が実証されることのほうが嬉しいです」
社会に出ると、自分という
乗り物を自分で運転できる
志望とは違う部署に配属されながら、篠原氏はクリエイティブの分野で才能を開花させた。
「電通でよかったと思うのは、色々な才能を持っている人と一緒に仕事ができたこと。刺激にもなるし、勉強にもなる。日本人は比較的チーム戦が得意。組織の中でクリエイティブの仕事をすることは、メリットはあってもデメリットはないと思います」
そんな篠原氏だが、2年前に電通を離れて、個人事務所を設立した。独立した理由は、40歳になったとき、自分自身の“行き先”を決めたからだ。
「50歳でクリエイティブという仕事を離れて、学生時代に憧れたアントレプレナー(起業家)になろうと考えた。10年は息を止めて短距離で走り抜こうと決めた。するとそれまでポテンヒットが多かった自分が、au三太郎シリーズのようなホームランを打つことができた。広告と同じように、人生に“行き先”を定めることは、一つのいい方法だと思います」
新しい経験をしなければ、歳をとるごとに時間が速く過ぎ去ってしまう。体内スピードを遅くするためにも、やったことのない新しい仕事に挑戦する予定だという。
今、コロナ禍で世の中は不透明だが、篠原氏は若い人たちにこうアドバイスする。
「社会に出たら、学生時代の何倍も面白いことが待っていると伝えたいですね。辛いこともたくさんありますが、自分という乗り物を自分で運転している実感を持てる。人生は意外に長いし、5年後の自分がどうなっているかわからない。道は一つではなく、正直、可能性しかありません。その可能性をアリにするのもナシにするのも、結局は自分なのだと思います」