「万能の薬」に執着したヨーロッパ人

 香辛料(スパイス)は、おもに熱帯、亜熱帯、温帯地方に産する植物の種子、果実、花、つぼみ、葉茎、木皮、根塊などで、飲食物の匂いを消したり、飲食物に香り、または辛味などを添えて風味を増したりする調味料だ。

 人類と香辛料の結び付きは、いまからおよそ五万年も前の狩猟民族が、獲物の肉を香りの高い草の葉に包んだところ、よい匂いがつき、おいしく食べられることを知ったのが始まりと推定されている。

 その後、薬や香料として使われたり、ミイラをつくるための防腐剤やピラミッドを建設するためにはたらく奴隷の疲労回復、食欲増進用に使われたりしてきた。

 古代ギリシア・ローマ時代になると、インドの胡椒などは、金や銀と等量で取引されるくらい高価なものだった。いまではごくふつうに手に入る香辛料だが、かつてはどんなに高価でも買わざるを得ないものだった。

 日本と比べて高緯度にあるヨーロッパの国々は気候の制約が厳しかった。ロンドンは北緯五二度だ。この位置は日本付近ではサハリンにあたる。フランスのパリ(北緯四八・五度)でさえ北海道の北にあたる。ヨーロッパは寒いのである。

 牛や羊を主体とした牧畜は、現在のようにサイロで干し草の保存はされていなかったので、長い冬の家畜の飼料が問題となっていた。冬には飼料が腐ってしまい、大部分の家畜を殺さざるを得なかった。家畜の皮や毛は、防寒具などに使用された。すべての動物の肉を塩漬けにして保存したが、日がたつにつれて腐るため、腐敗臭がするし、味もおかしくなる。

 しかし、生きていくためには、春まではその肉を食べなければならない。そのため、強力な防腐剤や匂い消しとして、香辛料がどうしても必要だったのだ。

 また、香辛料は天然痘やコレラ、チフスなどの死病に効くと信じられていた。匂いが感染症を運ぶものだと考えられており、香辛料がその匂いを消すとされていたのだ。他にも胃や腸、肝臓の薬としても使われていたため、香辛料は「万能の薬」として、狂気とも思える執着心でヨーロッパ人に求められたのだ。

 こうした香辛料の売買に介在していたのは、地理的にインドやインドネシアなどの主産地とヨーロッパとの中間に位置していたベネチアなどの国家だった。何世紀にも及ぶ独占を切り崩す引き金となったのが、マルコ・ポーロの『世界の記述(東方見聞録)』だったのだ。

 同書は金・銀への欲望を刺激しただけではなく、ヨーロッパの人々が熱望する胡椒、ナツメグ、シナモン、クローブの産地が詳述されていた。大航海時代は、金・銀とともに香辛料を獲得するために展開されたのだ。

 十六世紀は、ポルトガルのアフリカ、インド、東南アジア支配に対抗して、スペインが大西洋から太平洋を越えて東南アジアに進出するなど、植民地争奪戦がくり広げられた。

 十七世紀になるとオランダがしだいに勢力を伸ばし、東南アジアからポルトガルを追い出して、胡椒をはじめとする香辛料貿易の独占を図り、一六〇二年にはオランダ東インド会社を設立、大きな利潤を得るようになった。しかし、このあいだも各国入り乱れての植民地争奪戦は続けられた。十八世紀にはイギリスが強力な海軍力にものをいわせて、世界の覇権国となった。その頃には、貿易品のメインはインドの綿織物や中国の茶に移っており、香辛料の重要性は低下していった。

 十九世紀中頃、冷蔵技術が開発され、その冷蔵技術の発展によって香辛料の必要性がさらに小さくなり、香辛料貿易は衰退した。

 胡椒だけならばベトナム、ブラジルの生産量が多いが、インドはいまも香辛料全体の生産量、消費量、輸出量のすべてでダントツの世界一位である。おもな輸出先は、アメリカ合衆国、中国、ベトナム、アラブ首長国連邦、インドネシアなどだ。

左巻健男(さまき・たけお)

東京大学非常勤講師
元法政大学生命科学部環境応用化学科教授
『理科の探検(RikaTan)』編集長。専門は理科教育、科学コミュニケーション。一九四九年生まれ。千葉大学教育学部理科専攻(物理化学研究室)を卒業後、東京学芸大学大学院教育学研究科理科教育専攻(物理化学講座)を修了。中学校理科教科書(新しい科学)編集委員・執筆者。大学で教鞭を執りつつ、精力的に理科教室や講演会の講師を務める。おもな著書に、『面白くて眠れなくなる化学』(PHP)、『よくわかる元素図鑑』(田中陵二氏との共著、PHP)、『新しい高校化学の教科書』(講談社ブルーバックス)などがある。