「効率」がもたらす3つの問題

・コストは便益より数値計測しやすいことが多いため、効率の追求は単なる倹約の推進になってしまう場合が多い。

 計測しにくい便益(ベネフィット)を犠牲にして、計測しやすいコストを減らすことばかりが追求されがちになる。多くの国の政府が医療費や教育費を削減し、その結果として医療や教育の質が低下しているのは、そのわかりやすい例だ(子どもたちが教室で何を学んでいるかを数値で示せる人は、どこにもいないだろう)。政府だけではない。企業のCEOの中にも、目先のボーナスが増えるという理由で研究予算やメンテナンス予算を削り、あとで困った状況に陥る人がいる。あらゆる手段でオーケストラの効率を高めようとする学生も、その同類だ。

・経済的コストは社会的コストより計測しやすいため、効率の追求は経済的コストの削減に向かいやすく、それがしばしば社会的コストを増大させる。

 工場や学校の経済的効率を高めることはできたとしても、その代償として空気が汚染されたり、子どもたちの学習に悪影響が生じたりする場合が多い。経済学者たちは、このような問題を「外部性」という言葉で片づけてしまう。

・経済的便益は社会的便益より計測しやすいため、効率の追求は経済的な正当性が偏重される状況を生み出し、それが社会的に不当な状況をもたらすことが多い。

 効率を優先させると、質の高い料理よりファストフードを選びがちになるのと同じことだ。

 

 効率重視の発想、そして効率改善の専門家には用心深く接するべきだ。効率的な教育、効率的な医療、効率的な音楽には、特に警戒したほうがよい。ときには、工場の効率を追求することにも注意が必要だ。

 財務以外の指標も重視する業績評価システムである「バランス・スコアカード」も油断できない。財務以外の要素を考慮しようという意図はよいとしても、やはり計測しやすい要素を偏重する傾向があるからだ。

(※この原稿は書籍『これからのマネジャーが大切にすべきこと』の「20.『効率化』の落とし穴」の一部を編集して掲載しています)