2001年3月、日銀が踏み出す
当初は「危機対策」の意味合い
2001年3月に日本銀行が「量的緩和」を始めてから20年が経過する。
史上初の「量的緩和」には政策金利のゼロ金利制約に直面した下で、資金供給の増加を通じて景気や物価に働きかける意図が込められていた。
しかし振り返ると、バブル崩壊後の不良債権問題が深刻だったなかで、金融機関の資金繰りを下支えし貸し渋りを抑制するという危機対策としての意味合いも大きかった。
その後は欧米の中央銀行も含め、低成長・低インフレに対応する金融政策の主流になるが、その効果についてはいまだ意見が分かれている一方で、この20年でわかってきたことがある。
ポストコロナでその経験や教訓がどう生かされるかが重要だ。
FRB「QE2」以降、「金融政策」に
低成長・低インフレの脱却目指す
日銀が「量的緩和」を始めた当初は、90年代のバブル崩壊、金融危機後の経済低迷が続くなかで、日銀だけが行っていた政策だった。