四大を出たわけでもない、コネもない、資格もない青年が、派遣社員として大企業に入社した。職種は、社員のコンピュータの不具合などをサポートする「ヘルプデスク」。そんな彼が、どんどん社内の有名人になり、ぶっちぎりの出世を繰り返し、わずか10年で巨大グループ企業の執行役員になってしまった。
遠い国の話ではない。日本で、しかもほんの数年前にあった本当の話である。いったい、どんなことをやったらそんな超高速スピード出世が可能になるのか?
『派遣で入った僕が、34歳で巨大グループ企業の役員になった小さな成功法則』(ダイヤモンド社)には、その秘密が詳細に書かれている。本書より、その超高速スピード出世物語の一部を紹介していこう。

派遣のヘルプデスクからたった10年で役員へ。<br />超高速スピード出世の秘密(7)Photo: Adobe Stock

ブロークンイングリッシュという“錯覚資産”

「PCのことなら何でもやってくれるヘルプデスクの二宮くん」として会社の中でも名前が売れてきた僕に、情報システム室の室長がある無茶振りをした。

「二宮くん、アメリカに行ってたんだよね。なら英語できるよね。海外に送るメールの下書きを作ってもらいたい」

これが、僕がアメリカ留学以来、久々に海外の人たちとコミュニケーションを密に取り出した瞬間だった。しかし、ここには大きな問題があった。当時の僕の英語力はそんなに大したものじゃない。アメリカに5年半も留学していたし、2年制大学の卒業単位は取れていたけれど、日本の一流大学の英語が得意な学生に比べたら、英語力は劣っていたと思う。

何しろアメリカの4年制大学に進学する英語力がなかったのだから、ビジネス英語で言えばかなりの落第点だった。確かに、外国人と接する場数がたくさんあったので、「よー! 元気か?」というような、フランクな日常会話はできた。というか、逆にできたのは、それぐらい。

それなりに深い会話となると、全くのチンプンカンプン。食事の時に、「これ美味しいよね!」と雰囲気に合わせて言うとか、その程度の英語力だった。実際、日本へ帰国した後、映画の「スター・ウォーズ」を英語版で観たこともあったけど、ただ美しい映像を楽しむというだけで、ストーリーについては全く理解できなかった。あるいは、外国人の友人のSNSの投稿を理解しようとしても、ある程度の長文が書かれていたら、それを理解するのに丸1日ぐらい必要だった。

一方、日本でしか生活したことのない日本人は、海外で生活をしたことがある人は、ものすごく英語ができると思っている人も多かった。今は違うかもしれないけど、少なくとも、当時は、そんな風に思われていた。

だから、上司も何気ない気持ちで、僕に英語のメールの下書きを振ったのだと思う。しかし、僕としたら、嬉しいような怖いような微妙な感覚。病気を治すために大手術でも受けるような、自分にとってありがたいことだけど、ものすごく怖いことでもあった。

とはいえ、本当にできないと思うことだったら、僕だって断る。人一倍背伸びをすれば、できるかもしれない。やることに大きなリスクはないと思い、内心は少し怯えていたものの、「ペンを貸してください」とでも言われたような顔つきで、「やります!」と答えていた。

派遣のヘルプデスクからたった10年で役員へ。<br />超高速スピード出世の秘密(7)
二宮英樹(にのみや・ひでき)
1979年徳島県生まれ。高校卒業後、ミュージシャンを目指して米国に渡るが挫折。2003年に帰国。大塚製薬株式会社に派遣のヘルプデスクとして入社。上海万博出展などに携わり、またグローバルIT組織構築をグローバルリーダーとして推進。大塚倉庫株式会社 執行役員IT担当を経て独立。N&A株式会社代表取締役、株式会社オリエント代表取締役。情報セキュリティ戦略構築、組織づくり支援、教育等、各種コンサルティングを提供。特に欧米の高度セキュリティ・ソフトウェア開発の人材ネットワークを構築、国内外の企業に情報セキュリティ関連サービスを提供。著書に『派遣で入った僕が、34歳で巨大グループ企業の役員になった小さな成功法則』(ダイヤモンド社)。

参考記事
派遣のヘルプデスクからたった10年で役員へ。
超高速スピード出世の秘密(6)