四大を出たわけでもない、コネもない、資格もない青年が、派遣社員として大企業に入社した。職種は、社員のコンピュータの不具合などをサポートする「ヘルプデスク」。そんな彼が、どんどん社内の有名人になり、ぶっちぎりの出世を繰り返し、わずか10年で巨大グループ企業の執行役員になってしまった。
遠い国の話ではない。日本で、しかもほんの数年前にあった本当の話である。いったい、どんなことをやったらそんな超高速スピード出世が可能になるのか?
『派遣で入った僕が、34歳で巨大グループ企業の役員になった小さな成功法則』(ダイヤモンド社)には、その秘密が詳細に書かれている。本書より、その超高速スピード出世物語の一部を紹介していこう。

Photo: Adobe Stock

いつの間にか社内の有名人に

僕は佐藤さんと二人三脚で、ついに5000人の従業員のPCを、ウィンドウズからウィンドウズXPに、またメールシステムの環境などを一斉に切り替えることに成功した。

僕らの仕事では、常に何かの終わりは、新たな始まりでもある。新しいシステムを導入すれば、全社の人から「前とはやり方が違って、変なことをしてしまって......」などと、様々な問い合わせが滝のように入ってくる。

当時、僕は一人で1日100件を超える問い合わせの対応をしていた。また、大塚の支店に出張するなど、めまぐるしく働きまくっていた。そうしていたら、自然発生的に、全国の支店の人たちと独自のホットラインと信頼関係が構築されていった。

特に、支店長や所長をダイレクトにサポートする企画の人たちから、絶大な信頼を寄せていただけた。そういうポジションで働いている人は、支店長や所長が全面的に頼りにしていて、「彼女がいないと僕の仕事は回らない」と、頭が上がらなかったりする不思議な立場・関係性を築いていた女性が多かった。

そういう人々が頼ってくれるのが僕、という関係性になっていったのだ。だから、徐々に全社的に名前が売れていった。IT部門にはヘルプデスク以外にも何人も人がいるのだが、「ITといえば二宮くん」と覚えてもらうことができた。

どれくらい顔が売れたのかと言うと、支店長さんが本社にやってきて、僕と顔を合わせた時、「あの時は、お世話になりました。本当に助かりました」と、みんなの前で僕にお礼を言ってくれる。そうなると、本社の人も、「二宮くん知ってるの?」「知ってるよ!」という感じで、どんどん知名度が上がっていくのだ。

コンピューターを使うのは、部門も何も関係ないので、営業から研究職の人たちまで、色んな人が僕のことを知ってくれた。そんな風に、社内で認知度が上がって、他の部署の人からもけっこう贔屓にされるようになったら、部内の人の自分に対する捉え方や扱いが変わってきた。

「二宮くん、他の部門とのつなぎの話なんだけど、ちょっとうまくやってくれない?」

みたいな感じで、人間潤滑油として投入されることが増えてきた。

中には数年後に役員に昇進された方もいて、何かにつけて僕を気にかけてくださることになる。

僕をあまりよく思っていなかった人たちも周りの評判で態度が変わってきた。

「二宮くん、悪いんだけど、手を貸してくれるかな?」と仕事の相談が来た時には、「人の評価は短期的にここまで変わるのか」と驚いた。

後で聞くと、どんな悪条件や難しい内容の依頼でも「わかりました」と言ってさっとやってくるので困った時に相談しやすかったそうだ。その積み重ねで、「二宮ならなんとかしてくれる!」という評判が広がっていったらしい。

躍動感を持ってスピーディーに仕事をこなしていくというのは、音楽的に言うと“ノリ”や“グルーヴ”みたいなもので、波に乗って仕事をテンポよくするのが僕は好きだった。周りの人には、苦を苦と感じず、楽しそうに仕事している人に見えていたらしい。

二宮英樹(にのみや・ひでき)
1979年徳島県生まれ。高校卒業後、ミュージシャンを目指して米国に渡るが挫折。2003年に帰国。大塚製薬株式会社に派遣のヘルプデスクとして入社。上海万博出展などに携わり、またグローバルIT組織構築をグローバルリーダーとして推進。大塚倉庫株式会社 執行役員IT担当を経て独立。N&A株式会社代表取締役、株式会社オリエント代表取締役。情報セキュリティ戦略構築、組織づくり支援、教育等、各種コンサルティングを提供。特に欧米の高度セキュリティ・ソフトウェア開発の人材ネットワークを構築、国内外の企業に情報セキュリティ関連サービスを提供。著書に『派遣で入った僕が、34歳で巨大グループ企業の役員になった小さな成功法則』(ダイヤモンド社)。

参考記事
派遣のヘルプデスクからたった10年で役員へ。
超高速スピード出世の秘密(5