四大を出たわけでもない、コネもない、資格もない青年が、派遣社員として大企業に入社した。職種は、社員のコンピュータの不具合などをサポートする「ヘルプデスク」。そんな彼が、どんどん社内の有名人になり、ぶっちぎりの出世を繰り返し、わずか10年で巨大グループ企業の執行役員になってしまった。
遠い国の話ではない。日本で、しかもほんの数年前にあった本当の話である。いったい、どんなことをやったらそんな超高速スピード出世が可能になるのか?
『派遣で入った僕が、34歳で巨大グループ企業の役員になった小さな成功法則』(ダイヤモンド社)には、その秘密が詳細に書かれている。本書より、その超高速スピード出世物語の一部を紹介していこう。
社会人になって急に上達した英語
英語というものは、誰でも使えば使うほど、能力が上がる。だから、コピペを駆使した状態であっても、ネイティブの表現を借りて、実際に外国人とメールのやりとりをしていたら、僕の英語力も上がっていった。さきほど紹介したタイムスロットという表現だって、コピペを基にしたメールで1~2回使用すれば、その後は完全に自力で使えるようになってしまう。
英語上達の方法は、こういった地味なインプットの繰り返しに尽きる。アメリカに滞在していた頃から、様々な英語の上達法を試行錯誤してきたが、どれもうまくいかなかった。というか、丸暗記はド下手くそだった。だから、わからない表現に出合う度に、パクリ作戦で本当に使える・使われている事例を真似るという方法を使った。そうするとすーぅっと頭に入ってくるのだ。
最初は室長の勘違いに近い「英語もできる二宮くん」が、しばらくした後には、真実に近くなっていたのだ。意外に思うかもしれないが、僕の人生を振り返ると、英語の実力が、一番伸びたのは社会人になってからだ。錯覚資産が現実資産に変化していくような形で、僕は「英語なら二宮くん」というポジションを手に入れた。
すると、次のステージが待っていた。
ある時、室長から、こんな感じの指示が来た。
「二宮くん、グローバルの各地域のリーダーたちと、○○の案件は、▲▲という感じで進めたいから、その辺りの段取りをまとめておいて」
この指示は、明らかにただの日本語から英語への翻訳ではない。各地域のリーダーたちとコミュニケーションを取ってまとめるという、リーダーシップに絡むエリアの仕事だ。そんな仕事が任されるとは、全く予想していなかった。「そこまで任せてくれるのか」と嬉しくもあり、「絶対に失敗は許されない」と身の引き締まる思いにもなった。
1979年徳島県生まれ。高校卒業後、ミュージシャンを目指して米国に渡るが挫折。2003年に帰国。大塚製薬株式会社に派遣のヘルプデスクとして入社。上海万博出展などに携わり、またグローバルIT組織構築をグローバルリーダーとして推進。大塚倉庫株式会社 執行役員IT担当を経て独立。N&A株式会社代表取締役、株式会社オリエント代表取締役。情報セキュリティ戦略構築、組織づくり支援、教育等、各種コンサルティングを提供。特に欧米の高度セキュリティ・ソフトウェア開発の人材ネットワークを構築、国内外の企業に情報セキュリティ関連サービスを提供。著書に『派遣で入った僕が、34歳で巨大グループ企業の役員になった小さな成功法則』(ダイヤモンド社)。