14勝1分け3敗――ヘッドコーチとしてオーストラリア、日本、イングランドの3ヵ国を率いたエディー・ジョーンズのワールドカップ3大会での戦績だ。残した数字を見ただけでも、彼を名将だと言って異論を唱える者はいないだろう。
エディー・ジョーンズはいかにして奇跡を生んだのか! 2015年ワールドカップで「ブライトンの奇跡」といわれた南アフリカ戦から2019ワールドカップでのイングランド準優勝にいたるまで、エディーは何を考え、行動したのか。初の公式自叙伝となる『エディー・ジョーンズ わが人生とラグビー』の訳者髙橋功一さんにこの本のエッセンスを聞いていく。(構成・編集部)

日本代表を率いたときには、
FCバルセロナのジョゼップ・グアルディオラのもとを訪ねて
コーチングのヒントを得た

「コーチとして何をすべきか、コーチとしてどうあるべきか」<br />エディー・ジョーンズに大きな影響を与えた2人の人物とは!?Photo: Adobe Stock

――エディー・ジョーンズの通った「マトラヴィル・ハイスクール」のラグビーは奔放なラグビーだったんですね

髙橋 マトラヴィルの奔放なラグビーは、彼らとは対照的な伝統的戦法をとる名門校、セント・ジョセフズ・カレッジとのゲームのなかで、その様子が簡潔に描かれています。

 エディーさんは本書のなかで、マトラヴィルのこのスタイルは、長年親しんできたタッチラグビーをフィールドで再現したものであり、彼らにランニングラグビーを、考えるラグビーを教えてやったに過ぎないと言っています。つまりエディーさんにとっての奔放なラグビーというのは、すなわち「ランニングラグビー」、「考えるラグビー」なんですね。これが彼のラグビーの原点なのです(第1章「自由」)。

 でもエディーさんも語っていますが、彼らの自由奔放なラグビーは、単に奇をてらった変則的スタイルではありませんでした。チーム全体が、「ライン攻撃でのランとサポート、パスとキャッチの正確さといった、ゲームに必要不可欠なスキルの上に築かれたもので、そうした基本をマスターすることがゲームの勝利につながると理解していた(第2章「ランドウィック・ウェイ」)」のです。

――第2章の「ランドウィック・ウェイ」では、大きな影響を受けたランドウィックの話が出てきます。ボブ・ドゥワイヤーの下で4年間プレーをすることでラグビーに対する理解を深めていったと

髙橋 エディーさんは本書のなかで、マトラヴィルにフラットバックスラインをもたらしたのは元ワラビーズ(オーストラリア代表)のシリル・タワーズで、これはもともと彼がランドウィックのために開発した戦法であり、後にそれをマトラヴィルに導入したのだと言っています。

 一方、当時ボブ・ドゥワイヤーはランドウィックのヘッドコーチを務めていたので、おのずとフラットバックスラインによるランニングラグビーを継承しています。しかもドゥワイヤーは、指導者として情熱的であっただけでなく、ゲーム分析に卓越した能力を持っていました。コーチとしてのエディーさんは、このドゥワイヤーから大きな影響を受け、その礎の上に、みずからのコーチとしての経験を積み上げていったのは間違いありません。

 しかもエディーさんは本書のなかで、自分が体格に恵まれなかったことを繰返し述べていますが、このハンディを補うには自らにハードワークを課すとともに、ゲーム分析能力を磨くしかなかったのです。いかにもエディーさんらしいし、彼のコーチングのベースがここにあるのがよく分かります。

――ドゥワイヤーからは、スポーツ科学がトレーニングに重要な影響を与えることなど、多くのことを学んだようですね

髙橋 ドゥワイヤーのトレーニングは非情に緻密に計算された完璧なもので、プレーヤーに求める水準も非情に高かったようです(第2章「ランドウィック・ウェイ」)。エディーさんも同じで、ゲームまでにプレーヤーのポテンシャルをどれだけ引き出せるかにフォーカスしています。しかもラグビーだけでなくあらゆる分野にアンテナを張り巡らせていて、プラスになると感じればそれを貪欲に吸収していくんですね。

 日本代表を率いたときには、FCバルセロナのジョゼップ(ペップ)・グアルディオラのもとを訪ねてコーチングのヒントを得ていますし(第12章「人生の転機」より)、他にも様々な分野の名将と会って啓発され、新たなアイデアを得ています。

 今ではどのチームもやっていますが、ジャージにGPSを装着させて選手のワークレートを測定する手法もエディーさんが始めたことですし(第9章「どん底」)、こうした点はドゥワイヤーに大きく影響されていると思います。

――もう一人影響を与えたジェフ・セイルはまったく違う性格の人でした

髙橋 エディーさん自身は、ドゥワイヤーからラグビーの戦術を、セイルからラグビーを愛することを学んだと言っています。言い換えればふたりから、コーチとして何をすべきか、コーチとしてどうあるべきかを学んだということなのでしょうね。

 エディーさんははっきりものを言う人なので、セイルを「戦術面でもトレーニングの面でも偉大なコーチとは言い難かった」と評しつつも、「私はセイルから、ラグビーに対する純粋な喜びを学んだのである」と語っています(どちらも第2章「ランドウィック・ウェイ」)。簡潔に言えば、ラグビーが好きでゲームを愛し、そして人懐こく、ビールをこよなく愛する人物だったようで、エディーさんも彼とよく酒席を共にしたようです。本書のなかではエディーさんも、今では時代は違うがと前置きしつつも、チーム内でプレーヤー同士が酒を酌み交わしてコミュニケーションを図るのを奨励していますし、そうした場面もよく出てきます。

――ありがとうございます。今日は、エディーさんに大きな影響を与えた人物についてお話をお聞きしました。連載の第4回では、オーストラリア代表に選ばれなかったエディージョーンズの苦悩と、ラグビーコーチ人生の始まりについてお聞きしたいと思います。よろしくお願いします。