14勝1分け3敗──ヘッドコーチとしてオーストラリア、日本、イングランドの3ヵ国を率いたエディー・ジョーンズのワールドカップ3大会での戦績だ。残した数字を見ただけでも、彼を名将だと言って異論を唱える者はいないだろう。
エディー・ジョーンズはいかにして奇跡を生んだのか! 2015年ワールドカップで「ブライトンの奇跡」といわれた南アフリカ戦から2019ワールドカップでのイングランド準優勝にいたるまで、エディーは何を考え、行動したのか。初の公式自叙伝となる『エディー・ジョーンズ わが人生とラグビー』の訳者髙橋功一さんにこの本のエッセンスを聞いていく。(構成・編集部)

エディー・ジョーンズが「ラグビーは日本人には不向きだ」という先入観を完全に覆してくれた

ラグビーW杯準決勝・イングランド-ニュージーランド。試合後、言葉を交わすイングランドのエディー・ジョーンズ監督(左)とニュージーランドのスティーブ・ハンセン監督=2019年11月26日、横浜国際総合競技場 写真/時事

──今回の書籍は、エディー・ジョーンズさんのはじめての自叙伝になりますが、この翻訳をされた率直な感想を教えていただけますか?

髙橋 私が楕円球と出会ったのは高校生のときで、それ以来、最後は草ラグビーでしたが、30歳過ぎまでプレーを続けました。国内だけでなく、北半球や南半球のラグビーの動きもずっと追い続けていたので、日本選手権を制したサントリーも憎らしいほど強いチームが出てきたなと実感したのを覚えていますし、本書に登場するグレーガンやラーカムがブランビーズでプレーする様子もリアルタイムで観ていました。こうして改めて振り返ると、エディーさんが率いてきたのは、いずれもその時代に大きなインパクトを残してきたチームだなと感じます。

――かなり以前から、ラグビーをご覧になっていたんですね。

髙橋 ええ、エディーさんはそれまでなかなか結果の出なかった日本代表に「ブライトンの奇跡」までもたらしてくれました。日本代表に関して言えば、平尾誠二監督のときでさえ(そのときは現日本代表ヘッドコーチのジェイミー・ジョセフも日本代表でプレーしていました)、「あれだけ努力を重ねても勝てないのだから、所詮ラグビーは日本人には向かないのだ」と、一ファンである私などは半ば日本代表の未来を諦めたほどでした。ところがエディーさんは、確固たる信念のもと、「ジャパン・ウェイ」を標榜し、2015年大会で「ブライトンの奇跡」を起こしてくれました。つまり彼は、ラグビーは日本人には不向きだという先入観を完全に覆してくれたのです。

――ほんとに、そうですね。

髙橋 そんな彼の書籍が多く出版されるようになり、翻訳の一端に携わる人間として、私もチャンスがあれば手がけてみたいとずっと願っていました。ですから声をかけていただいたときには、大げさではなくまさに夢のようで、本当に嬉しかったです。単なるコーチングやマネジメント論ではなく自叙伝ですから、エディーさんの生い立ちはもちろん、彼の祖父母の話が第二次世界対戦の前後を通じて語られたりと、本当に読み応えのある本で、翻訳しながら新たな発見がたくさんあり、仕事を続けた数ヵ月間は楽しく過ごすことができました。本当に感謝しています。

――今まで、エディー・ジョーンズさんが書かれたコーチング哲学、リーダーシップ論の本はありましたが、それらの本との違いは感じられましたか?

髙橋 これまで刊行されたものは、いずれも自己啓発本ですから、組織であったり、リーダーシップであったり、ひとつのテーマが決まっています。つまりエディーさんの一面は知ることができますが、ある意味、彼がテーマではありません。本書はエディー・ジョーンズの自叙伝ですから、彼の人生や視点を通じて、組織のあり方やマネジメント哲学、日本人論、現代若者論、そしてもちろんリーダーシップのあり方などが様々な場面で語られていくので、より理解しやすく、そして興味深いものになっていると思います。

――プロローグの「なぜコーチを続けるのか?」の冒頭は、2015年9月「ブライトンの奇跡」からはじまりますね

髙橋 この「ブライトンの奇跡」によって、それまではマイナーなスポーツだったラグビーが一夜にしてメジャースポーツになりました。多くの人が涙を流した名勝負です。とくにゲームの最後にリーチ マイケルが勝利を目指してスクラムを選択しますが、これはエディー・ジョーンズが常々言う「フィールドに出たらコーチにできることはほとんどない。選手が自ら判断するしかない」という、彼の目指す究極のチームが完成したその瞬間に、プレーヤーの判断がコーチの考えを超えるという、本当に感動的な場面だと思います。マネジメントやコーチングの面からも考えさせられるのではないでしょうか。

――第1章「自由」では、エディー・ジョーンズ少年がラグビーをはじめたころの物語から始まりますね。

髙橋 彼は幼いころから、自分の風貌が周りと違うことに気づき、ハーフという認識を深めていきます。エディーさん自らが言うように、スポーツができることが社会に受け入れられる最も簡単な近道であり、彼はクリケットやリーグラグビーなどをプレーするようになるのですが、彼のなかに流れる日本人の血という部分に特にこだわりを持ってプレーしていたようです。

 結局、オーストラリア代表になれなかったのは体格で劣るためであり、断言はしていませんが、日本人の血が影響していたとおそらく感じていたのではないでしょうか。でもとにかく彼は両親の庇護のもと、人種や社会階級的に差別の残る社会のなかで引け目を感じることもなく様々なスポーツに打ち込み、のびのびと成長していきます。最後はユニオン・ラグビーに打ち込むようになりますが、この少年期が後のエディー・ジョーンズを形成していくわけで、私は本書を読みながら、イングランドのヘッドコーチとして空港に着いたときに服装がきちんとしていないと母のネリーに叱られる彼は、まさに少年期の彼と本質的にそれほど変わっていないのではないかと、ちょっと笑ってしまいました。

――そのシーンは印象的でしたね。連載の第2回では、エディー・ジョーンズさんとお母さんとのエピソードについてお聞きしていきたいと思います。よろしくお願いします。