さらに言えば、フランス革命のように市民階級が貴族階級を皆殺しにして権力を奪うような、直截な構図の革命は起きてこなかった、ということではないだろうか。武家階級が革命を起こしたからといって、貴族階級を皆殺しするわけではない。また、平氏も源氏も天皇の権威にエンドース(裏書き)された太政大臣とか征夷大将軍という肩書きで権力の正当性を主張しているだけであって、これは戦国時代を経て、江戸時代になっても変わらない。日本はそういう闘いを繰り返してきただけのことである。

日本で革命の契機となるのは、あいまいな空気のようなもの

 実にムラ社会的、あいまいな人々の国なのだ。しかし、それでも江戸時代と明治期では、当時の西洋人がびっくりするほどのスピードで、まったく違う形の国家ができ上がってしまう。

 これは企業経営でも同じで、会社が変わるとき、そこでイデオロギッシュなものがエンジンとなることは滅多にない。もっとあいまいな空気のようなもの、さらにはその背景にある個々人の実利と情緒、すなわち合理と情理が重なり合ったところにおいて空気が一変し、改革は付和雷同的に加速する。

 この手の闘いにおいて、非主流、つまり野党的立場に身を置いていると情報が入ってこないから、戦局の全体像や根本的な問題点は見えてこない。それに非主流派というのは気楽なポジションで、主流派に向かって文句ばかり言っていればよい。リアルな政治、権力行使の現実というものを経験していないから、鍛えられていない。実戦に弱いのだ。

 だから、組織改革をしたい、本当に組織をマネジメントしたいと思っている人は、先ほどの自民党清和会のケースのような潜在的なものも含めて、常に主流派、社内与党に身を置いていなければならない。

 非主流派や野党は、文句ばかり言っていられる立場で、居心地も悪くない。責任は取らなくてよいし、好き勝手なことが言える。そういう人たちが、何かのきっかけで権力を握ってしまったらどうなるか。今の民主党がその最たる例である。

 中間管理職でも野党癖が付いている人は多いが、この手の人材は、実践においては本当に使い物にならない。「上がわかっていない」「社長がだめだ」と批判ばかりしていて、自分は安全地帯にいて絶対に火の粉をかぶろうとしない。そういうやつには部下もついていかないから、業績も上げられない。