谷崎潤一郎は多作だ。明治末に作家デビューし、戦後、1965年(昭和40年)に没した彼が半世紀近い作家活動の中で刊行した書物は、最初の著作『刺青』からその後の文学全集や文庫なども含めると、200冊を優に超える。谷崎は、日本の中で最もメジャーな作家の一人である。だが、彼の作品はなかなか理解されにくいともいわれる。あまりにもエロティックで、変態的で、エッジのきいた嗜好(しこう)の描写が多い彼の作品が、相当に特異だからかもしれない。今回は、そんな谷崎文学の代表作『細雪(ささめゆき)』を通して、彼の意外な一面を考察したい。(ライター 正木伸城)
『細雪』は「谷崎文学らしからぬ」小説
戦争にあらがい自費出版を敢行
谷崎文学は、マゾヒズム(異常性欲ともされる欲の一つ)やフェティシズム(どこに性的魅力を感じるかの傾向)、また「母恋い」の作家として面白がられ、理解の幅が広がっていきにくい作家ともいわれてきた。そして、長らくこの延長線上で論評されてきた。一方で谷崎文学は、好まれるかどうか、あるいは「好む度合い」が人ぞれぞれで、読み手によって違いが表れやすい。これは個人的な印象だが、読み手が「谷崎のこの本が特に好き」と言う時、それに対する意見は分かれがちだ。
彼の代表作『細雪(ささめゆき)』は、その中では突出して、好む/好まずを超えて大衆にウケた。文学研究者・日高佳紀氏は「戦後最初期のベストセラー小説となる『細雪』は、谷崎の作品中、最大の長編であり、かつ谷崎文学のエッセンスが織り込まれた代表作であることは論を俟(ま)たない」と述べている。
本書が興味深いのは、いわゆる「谷崎潤一郎らしからぬ」小説である点だ。同じく文学研究者の中村ともえ氏は「例外的に首尾照応を備え完結した長編小説」と言い、谷崎文学にしては珍しく長編、しかも最大の長編であり、それまでの変態レベルの性欲や偏向もなければ、常軌を逸するような過激な嗜好への傾斜もないと指摘している。この特異さ(激しい描写がない)は、そもそも『細雪』が太平洋戦争の戦時下の制約のもとに書かれたことに起因するのかもしれない。
『細雪』は1943年(昭和18年)、「中央公論」の新年1月号から連載が開始された。しかし、3月号に第2回を掲載し、その後も隔月で掲載される予定だったが、第3回のゲラが刷り上がったところで陸軍報道部からの干渉により連載中止が決定されてしまう。以後、谷崎はそれにあらがうようにして『細雪』の私家版を刊行(自費出版)する。これも当局に見つかり発禁となるが、谷崎は、疎開先を転々としながら原稿を書き続け、戦後になってから全体を刊行した。