入場者数100万人突破で「復活」も
改革道半ばで中止の苦難

 東京モーターショーは、「クルマの祭典」として1954年に第1回が開催されて以降、日本のモータリゼーションをけん引してきた存在だ。アジア最大の自動車イベントとして、世界の5大モーターショー(米デトロイト、独フランクフルト、仏パリ、スイスのジュネーブ、東京)の位置付けを確保し、高度経済成長期において、日本の自動車産業が世界の自動車先進国と肩を並べる存在であることの象徴でもあった。

 しかし、近年、東京モーターショーでのワールドプレミアが減少するなど、アジア最大のモーターショーという看板は、日本から中国の北京モーターショーや上海モーターショーに取って代わられるようになった。日本の自動車市場は成熟化する一方で、代わりに中国が世界の自動車市場のトップに躍り出てきているからだ。世界の主要自動車メーカーは、日本よりも需要の大きい中国市場に傾倒している。

 実際、東京モーターショーは、これまで来場者を大きく減らしてきた。2000年以降は、05年(第39回)の151万人をピークに100万人切りが常態化するなど、じり貧状態だった。

 これを打破するため、19年に開催された前回の第46回東京モーターショーでは、豊田会長の音頭で改革が断行された。異業種を巻き込んだり体験型イベントを増やしたりする施策などを展開し、12年ぶりに100万人の大台を突破したのである。

 筆者は東京モーターショーのテコ入れに強い意欲を示していた豊田会長との懇談の際に、「東京オートサロンの盛況に対して東京モーターショーが盛り上がらなくなったのはなぜだと思うか」と問われたことがある。東京オートサロンは、東京モーターショーと並ぶ国内自動車イベントで、カスタムカーの祭典として知られるイベントだ。一日当たりの入場者数で比較すると東京モーターショーより動員数が多く、そうした経緯から豊田会長も東京オートサロンの盛況に注目していた。