中国との取引停止を発表しバイデン政権を喜ばせておく一方で、ちゃんと「われわれは中国の顧客も大切にしているんですよ」と習近平にもアピールをすることも忘れていないというわけだ。

 断っておくが、筆者はTSMCを批判しているわけではない。むしろ、このような立ち回りこそが、「経済安全保障」であり、日本政府、日本企業に欠落している考え方なので見習うべきとさえ思う。

鴻海に学ぶ、米中の狭間で巧みに泳ぐ処世術

 5月25日、日本の自動車産業を長く取材し続けて、近年は「経済安全保障」の重要性を唱えているジャーナリストの井上久男氏が「サイバースパイが日本を破壊する」(ビジネス社)を上梓した。

 その中で、米中が激しく対立をする中で、グローバルでビジネスをしている企業が取るべきスタンスを端的に述べている。

『「米中経済戦争」の中で、どちらかの国に近い企業か、色付けされるのは得策ではない。』(第7章 企業が取るべき道と覚悟、P.195)

 そして、この「色付け」を絶妙なバランス感覚で避ける企業の事例として、TSMCと同様、台湾を代表するEMS(電子機器受託製造サービス)世界最大手の鴻海精密工業(鴻海)を挙げている。その理由をとして、井上氏は以下のような指摘をしている。

 鴻海は台湾メーカーの中では「中国寄り」とされているが、EV事業では中国と米国の2箇所に工場を建設すると発表、さらに1200社に及ぶサプライヤーには、日本電産や村田製作所、NTTなどの日本企業だけではなく、アメリカのマイクロソフトやアマゾン・ウェブ・サービス(AWS)や、ドイツのインフィニオンテクノロジーズなどグローバルサプライヤーとの連携を強化している。

 このようなサプライチェーンのデカップリング(分離)によって「中国色」を薄めているのだ。こうした絶妙のバランス感覚について、井上氏は「この鴻海ほど米中の狭間で巧みに泳いできた企業はない」と述べている。

 今回の一連のTSMCの動きを見る限り、鴻海と似たものを感じるのは筆者だけか。

 つまり、「アメリカ寄り」という基本スタンスをとりながらも一方で、巨大市場である中国への取り組みを強化するという立ち回りである。そう考えると、大したメリットもない日本への研究拠点設置には、アメリカ側への「忠誠」をアピールするという狙いもあるかもしれない。

 そこに加えて、税金ももらえるし、日本企業の技術に対して情報収集やリクルートもできる。うまくいけば、鴻海がシャープを傘下にしたように、技術力がありながらも経営に苦しむような日本企業を手中におさめることができるかもしれない。韓国としのぎを削るTSMCにとって何かしらのメリットがあると判断したということだ。いずれにせよ、彼らの頭には、「日本の半導体の国際競争力を高めてやろう」なんて発想が1ミリもないことは間違いない。