普段の生活でも感じる
事情をつまびらかにすることの難しさ

 今回で考えさせられたのは、事情を説明することの難しさと、その効果の大きさである。

 たとえば、仕事に遅刻した時、ただ「遅刻しました」だと叱られるだけだが、実は電車が遅延したなどの事情があったらやはりそれを伝えておいた方が、相手の理解を得られる可能性は高まる。
 
 言い訳がましくなりたくないのでどこまで事情を説明するかというところだが、出発点が「言い訳しよう」ではなく「きちんと伝えておこう」であれば、いやらしいトーンは減らせるだろう。
 
 事情説明を受けて「ならば、遅延しても遅刻しないよう30分前に家を出るべきだ」など、さらに詰められることもあろう。ただ、その場合は話が次のステップに進んでいるので、単に「遅刻しました」と伝えるよりは建設的である。

 「投げて終わり」ではなく、「投げて受けて、次にどう投げるか」を考えていきたいところである。

受け手の心構え、大衆心理の支配力

 続いて、受け手について考えたい。

 まず、筆者が個人的に強く感じたのは、大衆心理の強さ・根深さであった。筆者はあまのじゃくなので、多くの人が「いい」と言っているものには「いい」と言いたくない。
 
 そんな性格の筆者であっても、会見拒否が報道されてメディアが「プロなのに…」と批判していたタイミングでは、「たしかにメディアの言うことはわかる」などと考えていた。

 流れが一つの方向に傾いているとき、メディアは同じ傾向の記事ばかりを取り扱いがちなので、入ってくる情報が画一的になるという要因もある。しかし一般の受け手側も「多数派意見に同調したい」という意識が、思いのほか強いのではないか。あまのじゃくを自任している筆者ですら、この大衆心理の支配下にあった。