比較意識が強すぎる

 このような人物を貫く中心的な特徴は、比較意識の強さだ。

 比較意識というのは誰にもあるものだ。学生時代の友だちが活躍していると、「すごいなあ」と称賛の気持ちが湧くと同時に、「それに比べてオレはさえない毎日だな」と情けない思いに駆られたりする。職場の同僚が頑張っていると、「負けていられないな。僕も頑張らないと」と発奮する。

 だが、このタイプは、比較意識が異常に強い。職場の仲間が仕事で成果を出すと、まるで自分が仕事で失敗したかのように落ち込む。仲間が上司から褒められると、あたかも自分が上司から叱られたかのような落ち込みを見せる。

 このように比較意識が異常に強い者にとっては、「仲間の成功=自分の失敗」を意味するのだ。ゆえに、仕事でうまくいった仲間がいると、落ち込むだけでなく、攻撃的な気持ちが湧き、反発して不機嫌な態度を見せたり、嫌みを口にしたりする。

 成果を出し、上司から褒められている同僚に対して、みんなが祝福の言葉をかけているのに、

「あいつ、いつもおいしいところだけもっていくなあ」
「担当している取引先に恵まれてるだけでしょ」
「アピールがうまいからなあ」
「契約取ったっていったって、大した金額じゃないし」

 などと嫌みな言葉を吐く。比較対象の成功は自分の失敗を意味するため、ケチをつけずにはいられない。

 こうした場合、比較対象となるのは、身近な人物だ。とくに自分とかかわりのない、別の会社の同年配の人が大きな成果を出しても、決して落ち込むことはない。取引先の同年配の人が大出世しても、「すごいなあ」と素直に称賛する気持ちの余裕がある。同じ社内の同年配でも、職種の違う人が成果を出したのなら、とくにダメージを受けることはない。

 似たような立場にあり、とくに年齢の近い人物、職場であれば身近な同僚が比較対象になりやすい。比較意識が異常に強い人物は、そのような人たちと自分を常に比較しており、自分が優位に立たないと気がすまない。

 比較対象となる人物の成功は、このタイプにとっては自分の敗北を意味するのである。