井上準之助
 前回に続き、金解禁の半年前に「ダイヤモンド」に掲載された、時の大蔵大臣、井上準之助の談話だ。一貫して金解禁(金本位制への復帰)を訴えていた井上が、2号にわたって「ダイヤモンド」で持論を展開している。

 このとき、金解禁論者の間で議論となっていたのは、旧平価(1917年9月以前の金本位制当時の平価:100円=49.85ドル)で金本位制に復帰すべきか、新平価(当時の情勢に合わせた平価:28年3月で100円=46.46ドル)で復帰すべきかという点である。井上は旧平価での金本位制復帰を目指していた。

 10年前の為替水準に基づいた旧平価は、新平価より円高だ。実際の為替情勢よりも円高で金本位制の国際システムに復帰するとなると、輸出は大幅に減少することになる。もとより、第1次世界大戦の終戦以降、戦後恐慌(20年)、関東大震災による震災恐慌(23年)や昭和金融恐慌(27年)に見舞われて、日本経済は縮小し、供給過剰状態になっている。さらに輸出減(輸入超)となると、国民所得は減少して不況がさらに深まるというのが、新平価解禁論者らの主張だった。

 こうした議論について井上は、「平価切り下げをやっても輸入超過はやまないであろう。そうすると、やはり財政緊縮、財界整理をやらなければならない」と語っている。つまり財政を緊縮し、財界整理(産業リストラ)を断行して過剰生産力を削減すれば、それによって円の価値は上がるので、旧平価解禁で問題ない、という論理を展開する。

 そして、この記事が出た直後に井上は大蔵大臣に就任。全国を飛び回り、講演会などで「財界整理、緊縮財政」を訴えた。すでに決まっていた29年度予算を5%削減し、緊縮財政を断行。さらに財界整理にも着手して、半年後の30年1月11日、金解禁に踏み切ったのである。

 こうした“豪腕”について、本連載で取り上げた武藤山治(鐘淵紡績会社社長)が30年2月11号のインタビューで、こう語っている。「井上君は、金解禁を至極手軽に考えて、5、6カ月でやってしまった。実に乱暴です」。

 先週の解説でも触れた通り、29年10月24日木曜日の米ニューヨーク証券市場の大暴落に端を発する世界恐慌が、その後、遅れて日本にも上陸。日本は昭和不況と呼ばれる深刻なデフレ不況に陥る。経済不安をつくった張本人として井上は右翼勢力に暗殺される。この為替の混乱の中、円売りドル買いで利益を挙げた三井財閥の理事長、団琢磨も32年、右翼テロリストに暗殺された(血盟団事件)。この「三井ドル買い事件」も、本連載で取り上げている

 その後、蔵相に就任した高橋是清による金輸出再禁止と積極財政によって昭和恐慌は克服されたが、軍事予算の抑制を唱えた高橋も軍事クーデターで暗殺(二・二六事件)される。かくして、日本は軍国主義への道を歩んでいくことになる。(文中敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

現在の内外金利差では
即時の金解禁は危険

1929年7月1日号1929年7月1日号より

 私は即時解禁に反対であると同時に、平価切り下げにも、期限付き解禁にも反対である。以下、その反対理由を述べるが、そうすれば、私の論旨が一層明瞭になることと思う。

 仮に、今日ただいま即時解禁をするとする。そうしたらどういう結果になるか。これを述べれば、即時解禁の不可なることが明らかになる。

 今日は、英国も、米国も、非常に金利が高い。日本の公債市債で、政府の保証のあるものは大概7分もしくはそれ以上に回っている。ところが、日本内地の利回りはそれより低く、少しまとまったものになると、6分利回りになるのを発見することが容易でない。公債類――あるいは社債類でも、良いものになると5分か5分5厘の利回りにすぎない。外国とは1分5厘からの差がある。