ギャンブルの道具だったトランプを
キャラクターでファミリー向けに

 1889年、京都市にて故山内房治郎氏が花札の製造を始めた。それが任天堂の源流であり、20世紀半ばまで、同社はわが国を代表する花札などのメーカーだった。

 その後、今日の任天堂の事業体制の基盤を創ったのが、故山内溥氏だ。1953年、任天堂はプラスチック製トランプの製造に成功し、破れにくさなどが消費者から評価されてヒットした。それに加えて、山内氏は、ギャンブルの道具としてのイメージの強かったトランプにイノベーションを起こした。具体的には、わが国で人気を得ていたウォルト・ディズニーのキャラクターをトランプに描き、簡単な遊び方の解説書も同封することで業績拡大につなげた。

 つまり、山内氏は事業範囲を花札という特定のドメイン(領域)に絞らなかった。60年代に入ると、山内氏はトランプ事業の成長鈍化を見越して、多角化を進めタクシー事業などに進出した。しかし、ノウハウの不足から多角化は失敗し、一時、任天堂の事業体制は不安定化した。

 その状況から脱するために、山内氏は後にゲーム開発に貢献する横井軍平氏が作っていたマジックハンドに目をつけて商品化を命じ、「ウルトラハンド」としてヒットした。逆説的に考えると、タクシー事業など祖業と異なる事業の失敗によって、任天堂は自社の強みが娯楽の創造だと気づいたのだろう。

 その後、任天堂はゲーム機開発に注力し始める。その一つの要因に、百貨店業界の成長があった。人が集うところにゲーム需要が生まれるとの考えの下、まず任天堂は業務用ゲーム機の開発に取り組んだ。さらに、カラーテレビの普及などを背景にテレビゲームや携帯型ゲームの開発にも取り組んだ。

 その結果、80年に発売された携帯型ゲーム機の「ゲーム&ウオッチ」、83年発表の「ファミリーコンピュータ」がヒットし、任天堂は花札やトランプのメーカーから、世界的なゲームメーカーに業態転換を遂げた。