米国の娯楽文化に着目
早くから海外法人を展開した

 任天堂の業態転換を支えた2つ目の要素は、トップが長期の視点で世界経済の環境変化を見据えたことだ。

 第2次世界大戦後、世界経済は復興し、成長した。具体的には、インフラ整備、工業化、自動車の普及、情報通信技術の高度化などによって、より効率的に付加価値が創出され始めた。それによって伝統的な経済学でいうところの「余暇=レジャー」の時間が増えた。

 地理的な側面から考察すると、成長の起点は米国だ。米国でディズニー映画が生み出され、わが国でもヒットした。東西の冷戦後は、社会主義体制をとった国や地域にも米国のブランドが浸透し、人々は豊かさを実感した。

 山内氏は、そうした展開を見越して、トランプとディズニーのキャラクターを結合し、新しいトランプの使い方(遊びとしてのトランプの使用)を世に広めたといえる。つまり、かなり早い段階から任天堂は国内ではなく、米国の消費・娯楽文化など海外経済のダイナミズムの取り込みを重視した。

 任天堂が新しいゲーム機の発売に合わせて海外事業を強化したのはそうした考えがあったからだろう。80年、ゲーム&ウオッチの発売と同時に同社は米国に現地法人を設立し、90年にはスーパーファミコン発表に合わせてドイツに現地法人が設けられた。山内氏は、グローバルに通用する新しい余暇の過ごし方を生み出すことが、自社の長期存続を支えるとの考えを強めただろう。

 理念と戦略の観点から考察すると、より良いレジャーの過ごし方(娯楽)の創造という、いつの時代も通用するミッションを経営者が組織全体に示し、実際に初期の成長(トランプやウルトラハンドのヒット)を実現した。新商品の成功がトップの求心力を高めた。その上で、情報通信技術の高度化などに合わせた各種ゲーム機、ソフトウエアの開発・販売戦略が立案、実行され、任天堂の業態転換が進んだ。