地理とは「地球上の理(ことわり)」である。この指針で現代世界の疑問を解き明かし、6万部を突破した『経済は地理から学べ!』。著者は、代々木ゼミナールで「東大地理」を教える実力派、宮路秀作氏だ。日本地理学会企画専門委員会の委員として、大学教員を中心に創設された「地理学のアウトリーチ研究グループ」にも参加し、精力的に活動している。2022年から高等学校教育で「地理総合」が必修科目となることが決定し、地理にスポットライトが当たっている。本連載は、ビジネスパーソンが地理を学ぶべき理由に切り込んだものである。
貝塚が示す「水害から身を守るヒント」
土地の様子を知るとき、「○○には河川が流れて平野となっている」や「××では台地が広がって、ところどころに坂が存在している」といった空間を認識しています。地理学においては、研究対象となる事象が「どのようなところ」に存在しているかを把握することが最も重要です。これはスケールによって捉え方が変わってくるためです。
例えば、水田分布を捉える場合、25000分の1地形図ではある程度の地形との関係性を把握することができますが、5000分の1地図となれば地形との関係性よりも農業経営という側面が強くなります。そのため、家屋と水田との距離や圃場、農道の整備状況などが詳細に捉えられます。
微視的(ミクロ)なスケールで研究していくと、地域を構成する要素が多岐にわたって相互に関係を持つことから、これらの要素をすべて研究することが求められます。
この中から1つだけを取り上げて一面的な研究をするわけにはいきませんので、スケールが微視的になれば、「地理学とは何ぞや!?」といった疑問を抱くことになります。
空間認識に最適な道具として、我々は日々の生活において地図を活用していますが、地図では「過去」を知ることはできないのでしょうか?
国土地理院が管理しているWeb地図、「地理院地図」を利用すれば、色々なレイヤーを重ねることで、地域の真実に迫ることができます。
例えば、標高ごとに自分の好きな色に変更できる「自分で作る色別標高図」という機能を使って、土地の標高の様子を示すことができます。通常の地図では一般の人には把握しづらい、扇状地や河岸段丘といった特徴ある地形が一目瞭然となります。
先日、私は地理院地図を使って、「貝塚」と名の付く地名を検索してみました。貝塚とは、貝類を常食とした先人たちが貝殻などをゴミとして投棄していた場所のことです。
2013年に文化庁が発表したデータによると、奈良文化財研究所によると、日本全国に存在する遺跡は46万5021ヵ所、そのうち貝塚は3946ヵ所も存在します。特に千葉県の貝塚の数は739ヵ所と全国最大であり、日本で確認されている貝塚のおよそ2割が集中しています。
貝塚の土壌は、貝殻に多く含まれる炭酸カルシウムの影響もあって、弱アルカリ性の場合が多いといいます。弱アルカリ性土壌からは、マイワシやドジョウといった貝殻以外の生物遺骸がみつかることがあるようです。
もちろん、貝塚は「当時の海岸線沿い」に多く存在していたはずです。しかし、紙地図では過去の様子を知りうることはできません。そこで、地理院地図において、標高10m未満の場所を黒く塗りつぶしてみました。下図を見てください。
黒く塗り潰された場所(標高10m未満)にそって、「貝塚」という地名(旗マーク)が集中していることが見てとれます。標高10m未満の場所を、地理院地図で指定されている海と同じ色にしてみたのが以下の図です。
こちらだと旗が立っている場所(「貝塚」の地名を持つ場所)がわかりにくいので、やはり標高10m未満を黒く塗った方がインパクトは大きいです。
この図より「当時の海岸線」がどこだったのかが分かります。
関東地方では、海に面していない栃木県や群馬県、埼玉県などでも貝塚が発見されています。いわゆる海水準変動によって縄文海進がみられたため、内陸部にまで東京湾が広がっていたと考えられます。およそ6000年前を境に海水準の低下が見られ、現在のような形となりました。同時に、利根川や荒川といった河川が平野を作り出したというわけです。