「愛」とは「所有すること」ではない

人が人を好きになると、欲が生まれる。
好きだからこそ、相手が自分の望む姿になってほしいと願う気持ちが大きくなる。
それはただの欲なのに、いつしかそれを愛だと勘違いすることになる。

欲は結局、相手を疲れさせて傷つける。
相手に対する理解が消えて、自分の意見と立場のほうが重要になる。
相手の気持ちを思いやるのではなく、ひとりよがりな欲を持つことになる。

自分では相手を気遣っていると思っていても、相手がそう感じないのであれば、それは自分のための配慮にすぎない。

もちろん完璧な人はいない。

誰にでも問題はあるし、不足している点はある。
だからお互いが歩み寄るべきだが、心が欲でいっぱいだと、相手に合わせることが難しくなる。
相手を自分に合わせようとして、よけいにイライラしてしまう。

お互いに欲を捨てて、すり合わせていく努力をしよう。
誰かのためではなく、自分の人生における愛の時間を傷だらけにせず、より美しい時間にしていくために。

このカップルの3つの約束は
もちろん難しいことだが、実に賢明な方法だと思った。

愛しているなら、愛を守るためにお互いに多くの努力が必要だ。
努力を続けるのは大変で難しい。
それでも一緒にいたいと思えるのは、相手を心から愛しているという証拠ではないだろうか。

愛とは所有することではない。
気分がよくなる甘い香りのようなものだ。

(本原稿は、クルベウ著 藤田麗子訳『大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをした』から一部抜粋・改変したものです)