谷川は1962年、神戸市出身。1976年にプロ入り。名人戦順位戦の最初の1期だけ2年在籍したが、その後は毎年度昇級し、1983年度に最高成績で挑戦権を得て、名人戦で6月に加藤一二三を破り、史上最年少の21歳2カ月で名人となった。この記録は今も破られていない。詰将棋力を生かした終盤の寄せの鋭さから「光速の寄せ」の異名を持つ。十七世名人資格者。名人5期、竜王4期などタイトル歴の通算は27期で歴代5位。日本将棋連盟の前会長で紫綬褒章を受章している。

谷川浩司九段谷川浩司九段。「光速の寄せ」の異名を持つ谷川も、中学生でプロデビューした天才棋士の一人である。 Photo:Diamond

相手と戦うのではなく、将棋盤と対峙している

 子ども時代の藤井聡太は負けると将棋盤にしがみついて激しく泣いた。「引きはがすのに苦労した」という瀬戸市の「ふみもと子供将棋教室」の文本力雄は「将棋を始めると何も見えない。すさまじい盤面集中だった」と振り返る。将棋を考えながら歩いていて、溝に落ちた逸話も有名だ。

 谷川は語る。「彼は相手によって作戦を変えることはなく、相手の得意戦法を外すこともしません。対戦相手と戦っているのではなく、将棋盤と対峙しているのです。子ども時代の将棋教室で培われた集中力と長時間考え続けられる力から来たのでしょう。普通は1時間も考えていたら、考えるのを休みたくなりますが、彼は公式戦でも相手の手番の時間帯も休まず考え続けます」。

 藤井は対局中、ほとんど相手を見ない。相手が羽生であれ、誰であれ関係ない印象だ。ある意味、社会体験が少ないから萎縮しないで済むのでは?とも思うが、谷川の見方は異なる。

「社会体験の多寡より、彼は強い相手と将棋ができることが純粋にうれしいのでしょう。将棋の真理を追究することを実現するためには相手が強ければ強いほどいい。きっと初防衛戦で渡辺さんと豊島(将之。竜王・叡王)さんが挑戦者になったことさえも喜んでいると思います。普通は『大変なことになったな』と思うものですが」と驚くのだ。