会社の「企業理念」に、
個人的な「念い」を重ねる

 だから、私は、新しい部署の管理職になったときには、必ず、「なぜ、その会社で働いているか」「なぜ、その仕事をするのか」を伝えるようにしていました。

 ただし、個人的な「念い」を語るだけでは足りません。なぜなら、メンバー全員が共有しているのは、所属する会社の「企業理念」にほかならないからです。ですから、管理職は、会社の「企業理念」に自分の「念い」を重ね合わせることが大切であり、それを言語化してメンバーに伝えることに意味があるのです。

 例えば、ソフトバンクの企業理念は「情報革命で人々を幸せに」ですから、同社の管理職だった頃は、こんなふうに「念い」を伝えていました。

「携帯電話は一般に普及したので、携帯電話の販売会社を退職して、今度は、基地局を増やして電波環境を整備したいと思って通信会社に転職しました。そして、どんなときでも大切な人とつながることができる環境をつくることで、人々を幸せにしたいと思っています」

 もちろん、会議でこの話をしても特段の反応があるわけではありません。

 むしろ、なかには白々しい表情を露骨に浮かべる人だっています。ある上司には、「俺は、そんなお涙頂戴、大嫌いなんだよね」と、あからさまに嫌悪感を示されたこともあります。だけど、それでいいんです。「企業理念」はメンバー全員が共有すべきものですから、誰も否定することはできません。大事なのは、管理職自身が、その「念い」に忠実であり続けることです。

 そして、日々の自分の言動を、その「念い」で律することができれば、いずれ、メンバーたちは、「この管理職は一本スジが通っている」と信頼を寄せてくれるようになります。そして、ことあるごとに管理職が「念い」を繰り返し伝えることで、メンバーは「自分は、企業理念に、どんな『念い』を重ねられるのだろう?」と考え始めるようになります。これが重要なのです。

 もちろん、各人の「念い」は私のそれとは違いますが、それで全然構いません。それぞれのメンバーが、内発的に「念い」を固めていくことが自発性の源になることが重要なのです。しかも、全員が「企業理念」を共有していますから、チームとして向かうべき方向性はずれません。ここに、健全なチームワークが生まれる素地が出来上がるのです。

「思い」「想い」ではなく、
「念い」を固める

 なお、ここまで「念い」という言葉を使ってきましたが、この言葉に違和感をもつ方も多いかもしれません。普通、「思い」とか「想い」という漢字を使うことが多いので、それも当然のことかと思いますが、これは誤植ではありません。古来から、「思い」とも、「想い」とも、違う意味が込められた言葉として「念い」という言葉は使われてきたのです。

「思い」の「思」は、「田」と「心」という造形から構成されていますが、この「田」は田畑を指すのではなく、子どもの脳を示すものです。ですから、「思い」には、「頭や心で考えること」という意味合いがあります。

 また、「想い」の「想」は、「木」「目」「心」という三つの造形から構成されており、「木」を「目」にして「心」に芽生える感情を表します。つまり、何か対象を見たときに心に宿る感情のことを「想い」という漢字で表現しているのです。

 一方、「念い」の「念」は、「今」と「心」という造形から構成されていますから、直訳すれば「今の心」という意味になります。

 ただし、「今」という文字の「人」に該当する部分は、フタを意味する造形であることに注意が必要です。つまり、フタをしているから、外から変化させることができない、「強い気持ち」という意味も込められているのです。

 ですから、「念い」という言葉には、単に「今の心」という意味ではなく、「すべての言動の根底に一貫している強い気持ち」という意味だと解釈することができます。要するに、「思い」や「想い」よりも、格段に強い「おもい」を「念い」と表現するわけです。

 実際、「念」という言葉は、「信念」や「念願」といった、切実な意味をもつ言葉に使われています。「企業理念」にも「念」という文字が使われていることに気づかれた方も多いでしょう。

 そして、管理職は、単なる「思い」や「想い」ではなく、それを「念い」になるまで固めていく必要があります。「すべての言動の根底に一貫している強い気持ち」をもてたときに、はじめて管理職はメンバーに対する求心力をもつことができるからです。これも、マネジメントのスキルやノウハウを身につける大前提として、しっかりと意識しておくべきことなのです(詳しくは『課長2.0』をご参照ください)。