親から負の要素を受け継ぎ、スタートラインに立てない子ども

 まず、この議論には、私は少なくとも最初に場合分けが必要だと感じる。それは、ゼロベースでスタートラインに立てている人と、親から負の要素を受け継いで、スタートラインにすら立てていない人たちだ。私にはどうも前者のみを前提に議論が進んでいるようにみえてならない。「実家が太くなくてアドバンテージがない、だから親ガチャに外れた」というふうに。
※「実家が太い」は、生まれ育った家に資産が豊富にあるという意味。

 これだとテレビ番組のタレントたちのように「結局は自分次第」「親に失礼だ」といった反応が出てくるのもわからなくもない。

 しかし、親から負の要素を受け継いで、スタートラインにすら立てていない人たちのことは、多くの人には見えてすらいない気がする。ここでは普段弱者の声を可視化するライターとして、取材する中で出会った人たちについて言及したい。

・親の借金が数百、数千万円単位あり、自分が肩代わりしなければならない
・親または親族が病気、障害者であり、介護が必要
・虐待や過干渉を受けている
・親が実家を出ること、進学することを許さない
・親に金を無心される、奨学金を使い込まれる

 このようなケースはレアだと思うかもしれないが、私は実際にこの目で見てきた。

 こうした人たちは、生まれてきた環境、親の影響で、圧倒的マイナスからのスタートになる。他の人たちがゼロベースから積み重ねて進んでいく間に、必死にマイナスを埋める作業を強いられる。

 ネット上の匿名の場でしか、自分の境遇をつぶやけない人もいる。そういった人たちも、「親ガチャ」という言葉を使う。境遇を訴えているようにも、深刻になりすぎるのを避け自嘲しているようにもみえる。