支連会の解体は、一国二制度の消滅を意味する

 こうした事態が立て続けに起きていた8月末、支連会にも香港警察から、「支連会が『外国の代理人』と信ずるに足る根拠がある」として、これまでの全会員の資料や過去7年間の収支報告、さらには国家安全法が指名手配する民主活動家らとの交流記録を提出するよう要求が届いた。

 これに対して、服役中の李主席と何主席に代わって支連会の運営トップを務めていた鄒副主席らは記者会見を開き、警察から届けられた書函には「『外国の代理人』とは一体どういうことなのか、どんな証拠があるのか、どの法律に基づいた判断なのか、一体何についての捜査なのか」が説明されていないと指摘。そして「警察は自由気ままに誰を捜査するかを決めている」と非難し、「支連会は『外国の代理人』ではない。そのため、資料を提出する必要はなく、要求には応じない」と、断固として警察の要求を拒絶すると宣言した。

 法廷弁護士でもある鄒副主席はこう言った。

「政府は恐怖を振りまいている。当局の恫喝は我々で止める。我々は当局の手助けをして、恐怖を拡散することはしない」

 この勇気ある言葉は国家安全法の恐怖におののく、多くの市民たちを活気づけた。

 しかし、鄒副主席と支連会幹部は警察に逮捕され、鄒副主席はすぐさま李主席と何副主席とともに国家安全法の「国家政権転覆扇動」容疑で起訴された。それが3人を手中に置いた中国当局による、長年望み続けた支連会解体の始まりであることは誰の目にも明らかだった。そして、常務委員全員が逮捕されて不在のまま支連会は会員全体会議を招集、解散を決定したのである。

 支連会の終焉は、これまでの香港が完全に終わったことを意味する。

 国家安全法の下で、正式名称を「香港市民支援愛国民主運動連合会」という支連会の「愛国」は否定され、拒絶された。かつては、天安門事件追悼集会が毎年続いていること、それは香港で「一国二制度」が実施されている証左だとみなされてきた。

 しかし、はかない夢は終わった。支連会とともに「一国二制度」も消え去ったのである。