経営者の仕事は「変革」である──。ハーバード・ビジネス・スクール名誉教授のジョン・コッターはこう言い続けてきた。

 現在、世界中のリーダーたちが「DX」の号令をかけ、デジタル変革を推し進めている。しかし改革はこれだけに留まらない。それは「サステナブル・トランスフォーメーション」(SX)である。

 地球環境への眼差しは、けっしてここ十余年のものではない。アメリカの生物学者、ギャレット・ハーディンが「コモンズの悲劇」について報告したのは1968年、またローマ・クラブが「成長の限界」を発表したのが72年。この年、ストックホルム会議(国連人間環境会議)が開かれ、92年のリオサミット(環境と開発に関する国際連合会議)、2012年のリオ+20(国連持続可能な開発会議)などを経て、2015年に採択されたSDGsへとつながっていく。

 このSDGs、ならびに翌年発効されたパリ協定(COP21)では、「プラネタリーバウンダリー」(地球の限界)という、気候変動や生態系の破壊などにより、人間が安全に活動できる境界を超越しているという指摘が反映されている。

 これまで企業は、地球温暖化や環境破壊、人権問題といった不都合な問題(内部不経済)を外部経済に任せてきた。しかし、こうした利己的な活動はもはや許されないばかりか、プラネタリーバウンダリーの問題に能動的に取り組まなければならない。その一歩がSXである。

 そのSXにおいて日本のリーダー企業こそ、食品メーカー「不二製油グループ本社」である。同社は、植物性油脂や業務用チョコレートといった植物由来の業務用素材を世界中の食品メーカーに提供している。消費者にはあまり馴染みがないかもしれないが、食用油、チョコレート、カップ麺、クリーム類など、同社の素材を使った食品を口に入れない日はないほど、私たちの食生活に密着した存在である。ちなみに近年注目されている大豆ミートの主原料「大豆たんぱく」に関しては、国内5割のシェアを占め、世界唯一ともいえる油脂とたんぱくの総合加工メーカーでもある。

 人が生きるうえで最も大切な「食」の基本素材を供給する企業としての責任から「世界水準のESG経営」を目指した同社は、日本企業で初めて「C“ESG”O」(最高ESG責任者)を上席執行役員に管掌させ、取締役会には諮問機関「ESG委員会」を設置した。2020年12月には、世界の機関投資家から最も信頼されているESG投資の評価機関、CDP(カーボン・ディスクロージャー・プロジェクト(注1))で、世界で10社しかないトリプルA企業に認定されている。

 こうした世界的高評価を生み出しているのが、進化を続ける同社のグローバルサプライチェーンである。主力事業を支える主原料(パーム油、カカオ豆、大豆、シアカーネル)の調達において「責任ある調達方針」を掲げ、徹底したトレーサビリティと情報開示を実施。またパーム油に関しては、現地で起きている問題や苦情などを直接受け付け、取引先に改善を促す「グリーバンスメカニズム」も並走させることで、みずからが課題にコミットし、サステナブル調達の質を実質的に向上させる工夫も忘れてはいない。大規模農園から零細農家まで網の目のように広がるサプライチェーンの情報を収集した地を這うともいうべき苦労と努力は、SDGs時代の企業責任を超え、世界標準のESG経営によって自己変革しようという、強い意志すら感じる。

 かつてピーター・ドラッカーが述べたように、破壊的な変化には「旧システムを新システムにつくり変える」ことでしか対応できず、この非連続な変化に適応していくことが生存と進化の道であるという。ESG経営への布石を打った清水洋史前社長のバトンを受け継ぎ、「ESGを稼ぐ力に変え、成長力につなげることが私のミッションだ」と語る酒井幹夫社長に、世界水準のESG経営による自己変革、SXがつむぎ出すシナリオについて語ってもらった。

注1)持続可能な開発のための気候変動関連情報を集積、開示し、改善を促す国際NGO。2020年度には世界515の機関投資家(運用資産総額106兆米ドル)が、投資に際して約9600社のCDP開示スコアを参照している。このスコアでトリプルA評価に認定されたのは10社、日本では不二製油グループと花王の2社のみ。
 

コロナ禍で10年前倒しされた
意識と行動の変容

編集部(以下青文字):マルチステークホルダーへの配慮が求められるESG経営が急速に進み、世界的なコロナ禍によって人の意識や行動にも大きな変化が起きています。それについてはどのようにとらえていますか。

酒井(以下略):たしかにコロナ禍を契機に、一人ひとりに大きな意識変容、行動変容が生じたと感じています。コロナ禍が始まった当初はまずは自分の身を守ることが最優先されていましたが、1年半を過ぎたいまでは、明らかにワークライフバランスが重視されています。リモートワークが加速度的に進む一方で、対面コミュニケーションの重要性も再認識され、家族とともに過ごす時間の大切さも見直されているのが、その証左です。

SX経営で食の未来を創造する不二製油グループ本社  代表取締役社長CEO
 酒井幹夫  MIKIO SAKAI
1959年、兵庫県生まれ。1983年、慶應義塾大学商学部卒業後、不二製油(現不二製油グループ本社)に入社。食品機能剤販売部長などを経て、2009年に中国法人の不二富吉(北京)科技有限公司 董事長/総経理、2012年にアメリカ法人のFuji Vegetable Oil Inc. 社長などを経て、日本に帰国。2016年に取締役常務執行役員およびCSO(最高経営戦略責任者)。2021年に代表取締役社長CEOに就任。「世界水準のESG経営」で成長するための改革を推し進めている。

 一方で、「なぜコロナ禍が起きたのか」をあらためて考えている人も増えている気がしています。地球が悲鳴を上げているのではないか、人類に対する警告ではないのかと感じている人も少なくないでしょう。

 国連の予測では、2030年の世界人口はいまより7億人増の85億人に達すると予測されており、エネルギーや食料などの不足が懸念されています。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は地球の平均気温の上昇を産業革命前に比べて1・5℃以内に抑えないと壊滅的な自然災害が起こると訴えていますし、TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)は気候変動によって作付け面積が減少し、農産物が不足すると警告しています。

 スマートフォンなどの普及によって、こうしたニュースは世界中の多くの人々の知るところとなっていますが、それに強く反応しているのがミレニアル世代、ジェネレーションZ世代と呼ばれる若者たちです。日本ではまだそれほどの危機感が高まっていないかもしれませんが、欧米のような熱気を帯び始めるのもそう遠くはありません。こうした意識と行動の明らかな変容が、コロナ禍という人類共通の危機によって5年から10年前倒しされたと見ています。

 特に「何のために、どう働くか」は時代が求めるテーマとなりつつあります。不二製油グループは、企業理念の中で「人のために働く」を掲げていますが、それが生まれた背景を教えてください。

 当社が「グループ憲法」の中で掲げている大事な価値観の一つが、「人のために働く」です。英語では「Work for people」と表現していますが、「この表現はちょっとおかしい。peopleではなく、the other personもしくはothersと言うべきではないか」と指摘されたこともありました。そこで、私はアメリカ駐在時に現地スタッフに聞いてみたのですが、「絶対にpeopleのほうがいい。peopleには人間性という意味合いも入ってくるし、その延長にはコミュニティや社会というイメージまで含まれている」と言うのです。ちなみに「Work for societyはどう」とも聞いてみたのですが、すると「societyと言うと、組織的とかシステマチックなニュアンスがある。やっぱり、peopleのほうがいい」と言われ、なるほどと納得したことがあります。

 ちなみに著名な心理学者であるエイブラハム・マズローは人間のモチベーションを研究し、自己実現欲求を最上位とした「欲求5段階説」を提唱しました。しかし彼は晩年、新たに6段階目の欲求があることを発表しています。それは自己超越欲求と呼ばれ、自己実現を超えた「利他」にも近い状態です。当社の「people」もそうした意味合いを包含しているようで、とても嬉しく感じています。

 このように「人のために働く」「Work for people」という言葉は、実質的な創業者である2代目社長・西村政太郎の「顧客への貢献を果たし、不断の発展を図る」という理念から生まれたものです。しかし当時新入社員だった私は、この理念の深い意味がわからず悩み、顧客への貢献って何だろうと、担当していたお客様に聞いて回ったことがあります。すると「それは値段を安くすることだよ」と言われて、「お客様が求めるニーズに合わせて価値のある製品をつくるにはどうしたらいいだろう」とよけいに悩んでしまいました。

 もちろんその後、営業の経験を重ねる中で、「適正な価格でお客さんに喜んでいただき、うちの会社も潤い、そこから投資してよりよい製品を生み出し、さらなる成長を実現する。こうした良循環を回すことなんだ」と気づいたわけです。それからもう少し責任ある立場になった時には、「これは会社にとってだけでなく、地域や社会、ひいては地球にとっても良循環を回すことにつながる」ということを理解しました。社長となったいまは、「ESGは経営の必須条件であり、安全・安心・品質というメーカーの前提条件と並ぶ、会社の根幹である」ととらえています。