幻の「成田新幹線」、その波瀾万丈の歴史とは成田新幹線の東京駅予定地には、その後、京葉線の東京駅が建設された(写真はすべて筆者撮影)

日本の新幹線は2022年度開業予定の西九州新幹線を含め、8路線存在し、大動脈の役割を担う。しかしながら、一度は建設が決まりながら、開業に至らなかった路線が過去に一つだけある。それは東京―成田空港間を結ぶ青写真を描いていた成田新幹線だ。通過沿線となる住民の猛反対だけではなく、各方面から声が上がるほどの大混乱に陥った。その波瀾(はらん)万丈の歴史とは。(レイルウェイ・ライター 岸田法眼)

鉄道建設審議会の答申で
成田新幹線建設が決定

 成田新幹線の計画が持ち上がったのは1969年10月。当時、千葉県成田市に新東京国際空港(現・成田国際空港。以下、成田空港)を建設中で、1971年4月1日の開港を目指していた。

 東京都心から成田空港までの連絡輸送について、政府の新東京国際空港建設実施本部は、成田新幹線を建設し、東京都心―成田空港間の約60キロを約30分で結ぶ構想を立てていた。