11年ぶりにシェアトップを奪還したキリンビール。主力ビールのてこ入れ成功などが原動力とされるが、実は陰に最大の“立役者”がいる。特集『ビール蒸発』(全8回)の#1では、キリン王座奪還の立役者の功罪を明らかにする。(ダイヤモンド編集部編集委員 名古屋和希)
11年ぶり首位奪還のキリン
家庭用シフトが奏功
2020年秋ごろ、東京・中野にあるキリンビール本社は興奮に包まれていた。キリンがビール大手4社の販売数量を推計したところ、20年のビール類(ビール、発泡酒、新ジャンル)のシェアでアサヒビールを抜き去ることをデータが示唆していたからだ。
首位奪還は実に09年以来、11年ぶりのことだ。とりわけ営業部隊の士気は高まった。スーパーの売り場の確保など、シェアトップという「肩書」がもたらす果実は多い。年が明けた21年1月、20年の販売数量が固まり、名実共にビール業界の盟主の座に返り咲いた。
歴史を振り返れば、キリンは1970年代から10年ほどは敵なしだった。国内シェアは6割強を占め、ライバルのアサヒのシェアをわずか1割に沈めたこともあった。
しかし、87年に状況は一変する。きっかけはアサヒが発売した「スーパードライ」だ。キリンはこのメガヒット商品にじわじわとシェアを削られ、01年には半世紀ぶりに王座を明け渡した。
キリンは09年に再逆転したものの、わずか1年で再び王座から陥落。その後はアサヒの攻勢の前に苦杯をなめ続けた。大手4社でキリンだけがシェアを落とす「独り負け」の屈辱も味わった。首位奪還はキリンにとって長年の悲願でもあったのだ。
このキリンの逆転劇のポイントとは何か。
一つはマーケティング戦略が的中したことだ。乱発していたブランド数を絞り込み、大型のヒット商品を育て上げた。好例が、18年に発売した新ジャンル「本麒麟」である。
本麒麟はロングセラーの「のどごし〈生〉」と合わせ、サントリービールの「金麦」を突き放した。
本麒麟は20年には前年を3割超も上回る約2000万ケースを販売。新型コロナウイルスの感染拡大による主力ビール「一番搾り」などの落ち込みを補って余りある存在にまで成長した。
もう一つがコロナ禍である。キリンは大手の中では、飲食店への依存度がかなり低い。19年時点で、飲食店向けのビールの数量比率は20%弱程度で、残りは家庭向けだ。
飲食店向けのビール需要が“蒸発”する中、「飲食店向け比率が高いアサヒが転落していった」(業界関係者)。一方、キリンはこの独自の「ポートフォリオ」が奏功し、相対的に立場を上げた。
だが実は、こうした要因に加え、キリンの華々しいシェア奪還劇を陰で支えた、ある“立役者”の存在を見過ごすことはできない。