NHKが1973年から続けている世論調査「日本人の意識」でもそれはよく出ている。国政選挙で投票することが国の政治に対して「非常に大きな影響を及ぼしている」と回答した人は73年には40%。これが年々悪化して2018年にはついに16.2%にまで落ち込んだ。国民が唯一影響を与えられるはずの「選挙」への期待値がこの45年で低下の一途を辿っているのだ。

 選挙のたびにマスコミは「若者の政治離れ」を話題にするが、実は政治から心が離れているのは若者ではなく、日本国民全員なのだ。

政治への無関心の根底にある、
日本人特有の「無常観」

 そこで気になるのはなぜこんなことになってしまったのか、そしてどうすれば食い止められるのかということだろう。

 実はこの問題については、先ほど触れたように戦後政治が「欠点だらけ」だと失望の声が多く上がっていた1950年代から60年代にかけて盛んに論じられてきた。そこでよく唱えられたのが、日本人の「諦めカルチャー」である。

 ご存じのように、日本人は古来、台風や地震などの自然災害に見舞われてきた。人智を超えた理不尽な災害を「天災」と呼び、命を失ったり、家や作物を破壊されたりというのを「宿命」として受け入れていくうち、不幸に直面しても、理不尽な目にあっても、「しょうがない」と諦めるクセがついた。それが「どうせ何も変わらないでしょ」という政治への関心の低さにつながっているというのだ。

 実際、「読売新聞」(1963年11月4日)では、政治学、社会学、精神医学の専門家8人とともに「日本人の政治意識」を研究しているが、そこでも封建時代から存在する「権力者への諦め」が現代まで続いているのではないかという説が唱えられている。同記事によれば、政治への無関心の根底には、次のような日本人の「無常観」があるという。

(1)与えられた現実を受け入れる
(2)人との繋がりを重視する
(3)考えを合理的に組み立てていくより、感情・直感を重視する

 これがあるので、政治家のスキャンダルが続発しても、政府に裏切られても、「ま、そんなもんだよね」と受け入れる。そして、ムードに流されながら「どうせそんなに変わらないよね」と思いながらも支持をする、ということを延々と繰り返す。「庶民特有の精神構造であるあきらめ的弱さ、いいかえれば政治への無力感が変化していない」(同上)というのが、戦後の日本人の政治意識だというのだ。

 これはまったく同感だが、筆者はこの日本人の「諦めカルチャー」を悪化させた犯人がいると考えている。それは学校教育における「校則」だ。