企業価値はどこにいった?

 では、「企業価値はどう扱えばいいのか?」ということになりますが、企業価値を詳細に算出しなければならないのは以下のようなケースです。

 企業が債務で資金調達をしていて、その債務の総資産に占める比率が極端に高いとか、それに伴う支払利息の額が大きく、営業利益と比較した際に無視できない比率であるといった場合では、ファイナンスの教科書が教えるように企業価値を算出し、負債価値を差し引いてから株式価値を計算する方法が合っていると思います。ただ、個人投資家がそんな状況の企業に投資をしたいのかという疑問は残ります。

 また、プライベートエクイティなどの投資家や企業が会社を丸ごと買収するときには、企業価値は重要です。買収時には、買収企業に被買収企業の債務までついてくるからです。しかし、上場企業を丸ごと買収できるような個人投資家はそうそういないので、その意味でも、多くの個人投資家にとって企業価値は必要ないと思います。

 一方、株式市場からは、「債務をうまく活用しろ」、つまり「レバレッジをかけろ」とのプレシャーが強いという事実があります。ただし、これも事業がうまくいっている場合です。株主の資本効率を測るROEが上昇するからです。

 しかし、事業が不安定で大きな赤字が出るような状況を繰り返す企業で、負債比率が高い場合には、投資家からは会社の生存確率を高めるために「財務体質を改善しろ」、つまり「借入を減らしてレバレッジを抑えろ」というリクエストがきます。

 リーマンショックの際に、レバレッジをかけている企業がやり玉に挙げられていたのを記憶している投資家も多いのではないでしょうか。株式市場では、相場次第で昨日まで正しかったことが、今日は間違いになることがあります。

 このような資本市場の手のひら返しを知っている経営者は、何かあったときに、負債比率が高い経営では自由度を失い、企業の生存確率を下げると考えます。負債の表面的な資本コストは安く見えますが、状況次第では安くないという考えです。このように考える経営者が、長期的に企業の生存確率を高める選択肢として負債をゼロにするという判断をすることもありえます。

 たとえば、企業を人の一生のように考えてみましょう。企業の100年後を考える際に、サドンデス(突然死)ではない、「幸せな終わり方」を考えると、生存期間中に、他人資本とも呼ばれる債務を返済して株主資本だけになるという考え方はありだと思います。株主資本は自己資本とも呼ばれ、返済を保証しなくてもよいお金です。また、100%自己資本であれば、投資した時点での金額は保証できませんが、持ち株比率に応じて資産を戻すことができます。

 企業が長期的に負債を活用する可能性が高く、その負債が総資産に占める割合が高い場合には、債務を抱える期間を考慮して企業価値を議論する必要がありますが、企業の一生を考えるような長期視点では、企業価値は株式価値に収斂していくと考える方がしっくりきます。

 それがゆえに、負債の時価評価などを「直接的に」考慮に入れない、当期純利益を前提にしたPERというバリュエーションが多くの投資家に使われているのだと理解しています。これは先ほどFCFFとFCFEが長期で見れば同じだというのと同じです。

 では、PERが負債をまったく考慮していないのかというと、決してそうではありません。

 たとえば、PERが歴史的に低い、またはTOPIX平均と比べて常にディスカウントされている産業があります。化学、鉄鋼、自動車、通信、金融、エネルギーといった産業は「低PERセクター(産業)」と呼ばれています。株式投資を始めてすぐの方は、「PERが低い」ので「割安な株価だ」と考えて手を出したという話をよく耳にします。

 こうした産業には共通点があり、企業としての歴史が長かったり、負債比率、つまりD/Eレシオが高かったりします。